江古田マンション物語。note創作大賞2024中間選考通過作品

長編小説

グランコーポK。父が私に残してくれた大きな遺産である。
 
 若宮慶、39歳。
昨年、父である若宮広司が亡くなり、父がマンションを持っていたことを初めて知った。
私が中学校を卒業した年、日本のバブルが崩壊し、不動産の価格が劇的に下がった時のことである。父広司が練馬区江古田にあるマンションを購入していたのが、グランコーポKだ。
元々の名前は、『コーポ江古田南通り』だったのだが、既存の大型マンションであるコーポ江古田と間違えやすいこと、南通りが区画整理で無くなったことから、父が新しい名前をつけたのだと言う。
グランは父の名前である広司から取り、イタリア語で「大きい」という意味らしい。英語ではなくイタリア語にしたのは、ただ単に、青春時代を過ごした江古田の喫茶店で飲んだイタリアンコーヒーが美味しくて忘れられなかったためだと後に母から聞くことになる。Kはもちろん、一人娘の私の名前、慶にちなんでいる。
 
 江古田は、父が生まれ育った場所で、私も父母に連れられて何度も行ったことがある。  
父の母、つまり私にとっての祖母が亡くなってからは、すっかり足が遠のいてしまったけれど、時々江古田の商店街がテレビに出てくると懐かしく思う。
江古田は大学が3つあり、学生街として賑わう街だ。飲食店も多く、時折、テレビでグルメ特集を組まれることがある。
 
 私は、生まれた時から、父と母と私の3人で横浜の一戸建てで暮らしていた。こちらは、私が生まれる前に、父が中古物件を購入したもので、あちこちに時代を感じさせる劣化が目立っていた。
トイレの床は一度腐って抜け落ち、修復していた。雨漏りこそしなかったが、断熱材の入っていない天井からは隙間風が吹くことがあった。
 昨年父が脳溢血で亡くなり、遺産など全く期待していなかったのだが、葬式が終わった晩、母が突然こんなことを言い出した。
 
「慶ちゃん、実はね、お父さんはマンションを持っているの。一部屋っていう意味ではなくて、一棟丸ごと。江古田のおばあちゃんの家の近くに、滑り台がある小さな公園があるでしょう。その手前を入っていったところの3階建てのマンション。そうね、こんな薄い水色の。」と言って、リビングのテーブルの上に載せられた箱ティッシュの角をつついた。
 私は驚いて事態を呑み込めなかった。
「お父さんがマンションのオーナー?どうして?それじゃあ、会社のお給料以外に家賃収入があったっていうこと?マンション一棟って、サラリーマンにも買えるの?」
 マンションを持っていると言えば普通は一部屋を指す。それが一棟丸ごととは、自分たち家族の暮らしからは想像がつかない。
 
「そうね。家賃収入だけで、月に40万円くらいはあったかしら?元はと言うと、おじいちゃんが全然お金を貯められない人だったから、おばあちゃんが苦労しているのを見て、いつかおばあちゃんが一人になった時の為にお父さんが買っていたの。おばあちゃん達、都営団地に住んでいたでしょう?あそこがもう相当古いから、取り壊しの時に遠くへ引っ越さなくても良いように、近くで見つけたらしいの。都営団地は狭いから、もしおばあちゃんに万が一のことがあっても、そこでお父さんと一緒には住めないじゃない?物が多くてベッドも入りそうになかったし。それでね、そうなった時には、横浜に引き取るのではなくて、お父さんが江古田に引っ越して面倒見るって決めていたみたい。」
「お父さん、かなり先のことまで考えていたのね。おばあちゃん、ずっと江古田に住んでいたから、離れたくないって言っていたよね。」
「そうなの。でも、結局、おばあちゃんは2週間の入院で死んじゃったから、介護なんて必要なかったけどね。」
 母は遠い目をして、亡き義母を思い浮かべているようだった。
 
「お母さんは、お父さんがマンションを買った時にはもちろん知っていたのでしょう?どうして私には秘密にしていたの?お父さん、本当は浮気していて、江古田のマンションに愛人を住まわせていたっていう可能性はないの?」
 母は、一瞬困ったような顔をして「そうねえ」と曖昧な返事をした。
 「え?お父さんに愛人がいた可能性ってある?あの顔で?」
そう言って、二人で笑った。
「お父さんの人生って本当に平凡でつまらなかったでしょう。だから、人生で何か大きなことをしたかったのだと思うの。バブルが崩壊した時にね、やっと俺の出番が来たって言っていたから。会社でもあんまり目立つ方ではなかったしね。」
「うん、わかる気がする。」
私は相槌を打って母の話を聞いていた。
「愛人ねぇ。お母さんも疑ったことはあったけれど、本当のところはわからないな。お父さんが江古田に行く時には、いつもおばあちゃん家でゆっくりしながらマンションの掃除をしてくるって言っていたから。でも、お父さんは一人でいるのが好きな人だから、他に女の人なんていなかったと思っているの。時々、お母さんと一緒にいるのも辛そうだったし。」
「あぁ。そうかもしれない。確かに一人でいるのが好きだったよね。お父さんは。」
私は、在りし日の父を思い浮かべた。
「慶ちゃんは覚えていないと思うけれど、慶ちゃんが小さな頃は、赤ちゃんの泣き声を聞くのが苦しいと言って、慶ちゃんが泣くたびにお父さんは一人で散歩へ出かけてしまったの。」
「父親なのに?それってひどい。」
「まぁ、男の人は自分が生んだわけではないから親になったという実感はすぐに湧かないのかもしれないわねぇ。だから、うちの家庭以外に家庭を持ったり、愛人を作ったりはしていないと思うわ。」
「ふうん。お母さんは、江古田のマンションの掃除には一緒に行かなかったの?」
「もちろん慶ちゃんが学校や部活に行っている間に一緒に江古田まで行ったことはあるけれど、お父さんは一人で行きたいようだったからね。途中からはお父さん一人で行くことが多かったかしらね。」
 「そうなの。私、全然気が付かなかった。」
 「そうね。お父さんは、家族で過ごすより一人で過ごす時間の方が楽しかったみたい。」
 「それは、私に遺伝しているかもしれない。私も、みんなでわいわいするより、一人で過ごす方が楽しいもの。球技大会よりマラソン大会とか水泳大会の方が好きだったし。」
 そう言って、私は母が淹れてくれたテーブルの上の、冷めた緑茶を一気に飲み干した。
 
慶にとっての父親は、うだつの上がらないただのサラリーマンでしかなかった。家族には優しかったし、外で遊び歩くこともない真面目な父。休日は釣りに行ったり、庭の手入れをしたりして過ごしていた。それを見て、そんな人生のどこが面白いのかと思っていた。
 江古田のマンションを買うお金があったのなら、この家の修理なり改築なりをしてくれれば良かったのに、とも思った。
 
 頭金は、こつこつ貯めた貯蓄をはたいて、マンションを購入し、月々の家賃収入は、元本の支払いに回していたため、実質手元に入るのは数万円程度だったらしい。
それから、固定資産税もグランコーポKの分と、横浜のおんぼろ一戸建ての分、二軒分を支払う必要があったから、お金持ちとは縁遠い生活を送っていたのだと母は説明してくれた。
 私が結婚したら、横浜の家を売って、父と母は二人でグランコーポKに住むことも考えていたらしい。
 
私が29歳の時、婚約していた男と破談になり、家を出て行く気配が無くなってからは、父広司は死ぬまで江古田に戻れないと嘆いていたと、母は話してくれた。
 父と母は11歳離れているので、若い頃は母が父に、歳をとってからは、父が母に甘えていたのは私の目にもうつっていた。
 休日、ふらりと出かけて夜まで戻らないことがよくあったが、あれはマンションの掃除やら電球交換やら、委託している不動産屋に出向いたりしていたのだと母は言う。
 そして、18時頃によくかかってくる電話があったが、そのたびに父は自分の部屋にこもりこそこそと話していたのは、不動産屋が相手だったらしい。
 
私は母によく「お父さんのあの電話、怪しくない?男の人みたいだったけど、陰でよくない人達に脅されているなんてことないよね?会社のお金を使い込んでいたりして?」と冗談で話していた。
 母は「お父さんにはお父さんの世界があるのでしょう」と私をなだめていたが、実は全て知っていたらしい。
 どうして私に内緒にしていたのか尋ねてみると、おばあちゃんを住まわせて、亡くなった後は、私に相続させるつもりだったからだと言う。それならどうしてもっと早く教えてくれなかったのかと食い下がると、
「お父さんは慶ちゃんがマンション経営に縛られないで、自由に生きてほしいと思っていたからよ。」と母は言った。
 父広司は、一人娘である私が、結婚して遠方に嫁ぐなり、海外で働くなり、自由に生きてほしいと願っていたのだそうだ。もし、マンションが不要ならばその時は売っても構わない、というのが父の遺言でもあった。
 真面目が取り柄の私にとって、マンション管理が自分の両肩に重くのしかかることで、私が自由に生きられなくなっては困ると考えたようだ。また、家賃収入があることで、労働意欲が下がってしまうことも懸念していたのだという。
 何とも父らしい考え方だと感心した。
 
 私は、短大の被服科を卒業し、ヤングファッションブランドをいくつか抱えている繊維会社に就職した。
 デザイン部を志望していたのだが、配属されたのは営業統括部。名前こそかっこ良いが、仕事は雑務がほとんどであった。
 関東を中心に日本全国に展開するアパレルショップの、店長会議で使う資料の準備や、各店でまとめて送付されてくるタイムカードとシフト表を照らし合わせて、給料の計算をしたり、入退職者の社員コードを作成したり、業務内容は多岐に渡っていた。 
 30歳を目前に控え、私は独身でいる自分に焦りを感じて、毎週末お見合いパーティーに参加していた。横浜と言う土地柄もあってか、ホテルバイキング付きのパーティーや、船上パーティーなんていう企画もあって、半分は未知なる経験をしたいという好奇心を満たすための参加でもあった。
 そこで出会ったのが、4つ年上の自動車メーカーに勤務する川上浩史であった。「ひろし」という名前の読みが、父広司と同じであったこともあり、親近感が湧いた。
5か月の交際の末、浩史の九州転勤が決まった時に「一緒についてきてほしい」というプロポーズまがいの台詞に、私はすっかり気を良くし、すぐに会社に退職を申し出た。
 なんの進展もないまま2か月の遠距離恋愛の末、いよいよ退職まで間近に迫ったある日、浩史は電話で「ごめん。結婚はできない。こっちに好きな人ができた」とだけ言って二人の関係は終わった。
 職場の引き継ぎもほとんど終わっていたし、今更退職希望を取り下げるほどの強い心臓を持ち合わせていなかったから、「結婚準備のための退職」として盛大に送り出されてしまった。
 もともと、実家暮らしの私は、朝7:45に家を出なくなっただけで、毎日が日曜日のような過ごし方は、何ら変わりなかった。ただ、デートの予定がなくなっただけだ。
 たった7か月の交際期間だったとはいえ、こうもあっさりと人間が人間を切り捨てられるものかと、すがすがしくもあった。
 そのことがあってからは、結局信じられるのは、自分自身だけだと思った。
 
 半年ほど、だらだらと何もせずに過ごした後、このままでは本当のダメ人間になると感じた私は、隣の市にある大型ショッピングモールのお直し屋でアルバイトとして働き出した。
 ショッピングモールに入っている洋服店のお直しを専門にしている店だ。
 大抵は、ズボンのすそ上げや上着の袖丈調整。平日の暇な時間はのんびりミシンと向き合えば良いが、セール期間中の休日はまるで戦場のように怒号が飛び交うこともあった。
 大体は、洋服店から内線電話が鳴り、「ジーンズの裾上げ2本、仕上げまで何分かかりますか?」とか「さっき持って行ったスラックスの裾詰め仕上がっていますか?」とか、そういった類だった。そのたびにミシンを動かす手を止め、商品を探して返答するから、かえって時間がかかってしまう。
 持ち込み時に「30分後」と言ったら、その時間内に終わらせるように急いでいるのだから、いちいち確認せずに指定の時間に取りに来れば良いというのに。
 ひどいのは、内線電話で連絡があってから、お直し店まで持ってくるのに10分近くかかり、それから「さっき電話をしてから30分後だと15時に引き取りに来れば良いですね?」という販売員。こちらとしては、お直しにかかる時間が30分だと伝えたつもりだが、あちらはそう取ってくれなかったらしい。洋服店がなければお直し屋は成立しないから、仕方なく大急ぎでミシンに向かうしかない。
 お直しのピークがやっと落ち着いたと思った矢先に、5ミリ短いだの長いだのと再度持ち込んで来る販売員。5ミリくらい、測り方で何とでもなるし、大体履いていたら気づかない程度の誤差と言えるのに、と思う。
 不平不満を言えばきりがないが、基本的にはミシンに対面していれば良く、いちいちスタッフ同士で芸能ネタやら他人の噂話をする必要がないので、私には向いているようだった。
 本当はデザインの仕事がしたかったのだけれど、お直しをするこの店にはいろいろな素材の洋服が持ち込まれるから、結構面白い。
 もし、この洋服を私がもらえるとしたら、シフォンのブラウスにデニムの端切れを合わせて、異素材のフレアスカートを作るのに、といったように想像力を働かせながら手を動かすのが好きだった。
 
 そういう生活が10年近く続いたある日、父は娘の花嫁姿を見ることなく、突然あの世へ行ってしまった。
 父の四十九日を済ませると、母と一緒にマンション管理を委託しているちちぶ不動産へ挨拶に行った。60代後半の夫婦で営むちちぶ不動産は、埼玉県の秩父出身のご主人が、一代で築き上げた街の小さな不動産屋だった。
 練馬区江古田は、大学生の街だから、学生の出入りが激しく、入居手数料や更新料、マンション管理委託料で細々と生活できるのだと話してくれた。
 ちちぶ不動産のご主人は、私の顔を見て、「お父さんにそっくりの賢そうな娘さんだ。」と言ってくれた。その言葉で、私は一気にご主人を気にいった。
 「今後、グランコーポKのことは、奥さんに連絡すれば良いのかね?」とご主人が言い終わらないうちに、「私が引き継ぎます。私に連絡してください。」と口から出ていた。
 母は、面倒なことは苦手なので、私が父からマンション管理を引き継ぐのは当然だと思っていたようで、別段驚く様子はなかった。
私が、母からグランコーポKの存在を聞いてから、マンション経営に興味が湧いていたから、そう答えるのは決めていた。
 
 父が亡くなったのが11月の末。もうお正月気分は抜けて、街には節分の飾りが並び始めている。そろそろ春に向けて、入居者の動きが出始める頃だろう。
 まだ外は寒く、マフラーと手袋が欠かせないが、大学4年生のほとんどは、就職先が決まっている。中には、地元に帰る学生もいるから、就職して、そのまま江古田に残る者ばかりではない。もうそろそろ退室の申し入れが入るだろう。それと入れ違いに、春からの新入居希望者もちらほらと出始める頃だった。
 
 練馬区江古田は、都営大江戸線の新江古田駅を利用すれば、新宿まで15分、西武池袋線の江古田駅を利用すればわずか7分で池袋に出られる。
 飲食店も多く、治安も悪くない。芸能人や政治家などの有名人も輩出しており、街としては人気がある方だ。
 グランコーポKの間取りは変わっていて、全6部屋。101、202、302がワンルームで、201、301がファミリー向けの2DK。102は、道路に面する北側がガラス張りになっていて、主に商業用に貸し出している。グランコーポKが建てられた当時は、会計事務所が10年ほど入っており、その後はそろばん教室が7年、現在は塗装会社の事務所として利用されている。
 
  ちちぶ不動産からの帰りの電車の中で、私は母に尋ねた。
 「本当に、私がオーナーで良いの?」
目の前の学生が、ちらりと私たちの方を見たけれど、また手元のスマートフォンに視線を下した。
「それはもちろん。お母さんには無理よ。掃除だって自分の家ですらしたくないのに、よそのマンション、しかもこんなに遠くまできて掃除やら、契約手続きやら出来っこないわ。慶ちゃん、お願いね。」
母は、少し電車の暖房が暑かったようで、マフラーを外しながら寂しそうに答えた。
「お母さん、それなら私、あそこに住んでもいい?一人暮らしをしてみたいの。世間一般の人からすれば随分遅い独り立ちだけれどね。学生さんは18歳で一人暮らしでしょう?私もいつまでも親のすねをかじっているわけにはいかないと思うの。それに、マンション管理って楽しそうじゃない?わくわくしてきちゃった。」
私は嬉しくて声が大きくなっているのが自分でも分かった。
「そう。慶ちゃんがそうしたいなら反対はできないわ。でも、慶ちゃんが江古田に住むとなると、お母さんも一人暮らしになるわけね。」
母は寂しそうだったけれど、私はもう決めた。
「大丈夫よ。電車でたったの一時間じゃない。呼ばれたらすぐ帰れるようにしておくから。」
「そうね。慶ちゃんがあそこに住むなら、お母さんもそのうちグランコーポKに引っ越そうかしら。親子で同じマンションの別の部屋っていうのも良いわよね。」
「それいい。私がお母さんの部屋に行って一緒に食事をすれば、自分のご飯を作らなくていいしね。洗濯も頼んじゃおうかな?」
「それでは、一人暮らしの意味がないでしょう。」
二人は電車内の他の乗客を意識して、笑いを堪えるのに必死だった。
 
 それから二日後に、ちちぶ不動産のご主人から連絡があった。
 202号室の学生が退去するという連絡だった。都内の会社に就職が決まり、当初はそのままグランコーポKに住み続けるつもりでいたが、社宅が空いて入れることになったそうだ。
 「新しい学生さんを入れるならすぐ募集を始めるけれども・・・」と続けたご主人が言い終わらないうちに、「私が住みます。空けておいてください。」と慶は制止した。

202号室の学生は、4月2日の入社式に備えて、もっと早く退去してくれれば良いものを年度末いっぱいの3月31日までグランコーポKで過ごし、引っ越していった。引っ越し費用は会社持ちだという。この時期は引っ越し業者が大忙しで、トラックの都合なのかもしれなかった。
 慶は、急いで引っ越す必要もなかったから、洋服のお直し屋のアルバイトを4月の2週目まで約10年勤めあげ、ゴールデンウィークに入る直前に江古田のグランコーポKへ転居した。
 転居と言っても、家族と一緒に住んでいた横浜の家から持ち出す物などほとんどなく、宅配便で段ボール2箱を送り、スーツケースで運ぶだけで済んでしまった。
 
 アルバイトで貯めた金で、電化製品一式を購入した。江古田には、リサイクルショップが点在しており、まだ新品ではないかと見まがうほど状態の良い物が、新品の半額以下の値段で手に入った。 
 電子レンジと冷蔵庫、炊飯器とテレビを買い求めた。あとは洗濯機があれば当面は大丈夫そうだ。新しい洗濯機を買うまでは、近くのコインランドリーを使ってみようかとも思った。
 食器と調理器具は池袋で新品を買いそろえた。その時、食器を全て二組ずつ購入したのは、私の淡い期待が込められていた。
 このまま結婚しないなんて寂しすぎる。私だっていつかは家庭を持って普通の幸せを味わってみたいと思った。
 
 202室は、学生が退去したのち、壁紙を新しくしたのでまるで新築マンションのようだった。フローリングを剥がし、畳を敷いてもらい、照明器具も交換した。ガス台もリフォーム業者がサンプル品を持て余しているというので、まだフィルムを貼ったままのほとんど新品のサンプル品のガス台を設置してもらった。オプション料金を払い、清掃は通常よりも丁寧に、徹底的に除菌してもらった。
 
 玄関を開けると、左手にトイレと風呂、その奥にキッチンがある。部屋はワンルームで、大きな窓を開けると太陽の光が降り注いだ。洗濯機置き場がベランダにあるというのが気になるところだが、この辺りに住む学生は、コンビニより多いと言われているコインランドリーを利用するので、屋内に設置場所をつける必要がなかったのだろう。
 この街に合った設計をしているところに、私は妙に感心した。
 
 リサイクルショップで配送料を払って、電化製品の全てを部屋に入れてもらったら、私はまるで自分の城ができたように感じた。
 
 水曜日の朝、私は7時30分に目覚まし時計の音で目が覚めた。仕事をしていないので、のんびり寝ていることもできるのだが、水曜日と土曜日は燃えるごみの日だから、自分で起きて捨てに行かない限り、ごみは溜まる一方だ。
引っ越しを終えて、燃えるごみだけでも4袋もある。まだ寒い春の朝、私はスウェットズボンにパーカーと言う恰好でごみ袋を抱えて、徒歩30秒のゴミ捨て場まで2往復した。
よく見ると、マンション前の排水口の角にたばこの吸い殻が2本落ちていた。向かい側の広い戸建ての庭から風に飛ばされてやってきた、杉の葉も階段の下に積もっている。
 集合ポストの向かいの階段の下にちりとりとほうきがあった。これは父広司が用意して置いておいたものだろう。
仕方がない、新しく管理人となった私が掃除をやらなければ、引っ越してきた意味がないというものだ。私は、一旦部屋に戻り、コンビニのビニール袋を持ってまた1階に降りた。
 私がほうきで掃除をしていると、玄関に鍵をかける音に続いて、階段を降りてくる足音がした。私は一瞬、自分の恰好を気にかけたが、この時間にはこの格好でもおかしくはないだろうと思い直した。排水口のたばこの吸い殻をほうきで手繰り寄せると、「おはようございます」という低い声がした。私がその声がした方向を見ると・・・。
 そこに立っていたのは、身長180センチはあろうかという大きな体格に似合わない少年のようなあどけなさを残した顔。少し眠そうな目は子犬のようにくるりと丸く黒目勝ち。手には小さなコンビニ袋を持って、リュックサックを背負っていた。
 私は、「あ、はい。」というのが精いっぱいだった。その男は、「ありがとうございます。」と私に向かって言うので、私は何に対しての御礼かわからず、「え?」と声を上げてしまった。
男は、少し微笑んで、「掃除。ありがとうございます。僕も前から気になってはいたのですけど、なかなか行動に移せなくて。申し訳ないです。」と言った。
グランコーポKの住人というだけで、掃除をしようとしてくれていたとは何とも頼もしいと感心していると、その長身の男は、「それでは、失礼します。」と一礼して行ってしまった。
手に持ったコンビニの袋は、先ほど私が捨てたごみ袋の上に重ねられて、その男は長い足をゆっくりと前後させて、遠ざかって行った。
 私は、心臓が止まっているのではないかと思うくらいにその場から動けなくなってしまった。
 なんなのだ、あの男は。あんなに神々しい人間がこの世の中に存在するなんて。
 私にだって、恋人がいた時代もあった。一目惚れだって経験済みだし、恋愛のいろはぐらいはわかっているつもりだった。
 
「お父さん!遺言状に書いてなかった!」私は思わず天を仰いでそう呟いた。
 先ほどの男は何者なのか?ぼさぼさの髪で、ほうきを片手に持った私は、あの男からどんな風に見えていたのだろうか。
 私は、急いでごみをかき集めて、ビニール袋に入れゴミ捨て場に向かった。さっきの男が捨てていったごみの横に寄り添うようにそっと置いて、早歩きで階段を上がり、202号室の自分の部屋の鍵を開けた。
 押し入れから、段ボールに入ったままの契約書の束をひっくり返した。
横浜に置いてきても良かったのだが、管理人として必要になる時がくるかもしれないと思い、宅配便でグランコーポKに送っておいたのだった。
父は律儀な性格の人で、マンション購入当時からすべての書類を保管してあった。年代順に並べられ、入退去の履歴や、家賃の支払い状況などは、大学ノートにきっちりと記してあった。契約は2年ごとの更新だが、途中で解約する者もいるし、更新した月に、急遽転勤になって退去したものもいるようだ。
 今は亡き父が部屋の片隅でこそこそと作業していた姿が、昨日のことのように思い出され、私は涙が止まらなくなってしまった。
 ひっくり返した契約書をまた年代別に並べていて、ふと自分がこの段ボールを開けた理由を思い出した。
 「そうだ。今朝の男について知りたかったのだ。」
 
 その男は、階段から降りてきたので、101号室と102号室は除外される。隣室に当たる201号室は引っ越し作業中に会ったから、顔は知っている。幼い子どもがいる三人家族で父親は日に焼けて色の黒い男だった。残るは301号室と302号室のみだ。
 301号室は、荻野目康代58歳が契約者となっていた。その息子という可能性はある。302号室は、加藤匠37歳。勤務先は練馬園芸となっている。302号室は一人世帯用だから、この男の可能性は高い。練馬園芸を早速スマートフォンで検索してみると、グランコーポKからは2.4Km離れている。
地図のアプリによると、グランコーポKから徒歩でちょうど30分だと示された。
2階建てでカフェも併設されており、造園業と一般園芸用品の販売を併せて事業としていた。通信販売もしているようだ。営業時間は9時から18時。8時前に徒歩で職場に向かっているとしたら合点がいく。
 行ってみようかとも思ったが、まるで自分があの長身の男のストーカーのようで辞めておくことにした。
 
 私はその日一日、ぼんやりとした頭で過ごすこととなった。コインランドリーで洗ったスウェットパンツとパーカーを持ち帰り、ベランダに干そうとしてハンガーが足りないことに気が付いた。仕方がないので、クローゼットの春物のコートをかけてあったハンガーを外して使うことにしたが、頭の中は加藤匠(おそらく今朝の男の名前)のことばかりを考えていた。
今頃、あの大きな体を曲げて植物に触れているのだろうかと思ったら、この部屋にも観葉植物があっても良いような気がしてきた。
 
 その日から3日間、雨が降り続いた。梅雨入りするには少し早いような気がするが、異常気象が続く昨今、どんな天気がやってきても不思議ではない。
 私は、江古田駅周辺のスーパーやコンビニエンスストアに行く以外は自宅で過ごした。父が残した過去の契約書類を眺めたり、手縫いでテーブルクロスを作ったりして過ごした。
 新しい住まいは、目が覚める度にまだ夢の中にいるような不思議な感覚を覚えた。
横浜の家とは違う匂いが染みついていた。この部屋に父広司は何度入っただろうか。私に内緒でマンション管理をしていた父を想い時折涙がこぼれた。
 
 初めての一人暮らしに人恋しくなり、母に電話をしてみたが、買い物に出ているようで応答はなかった。
 
 ベランダに面する窓を開けてみると、さきほどまで降り続いていた雨が止み、雲の切れ目から太陽の光が一筋差してきた。
「練馬園芸に行ってみよう」
 そう思って、私はいつもつけない口紅を薄く引き、グロスをそっと重ねた。
 もう何年も前から、ファンデーションは使用していない。芸能人に憧れて、デパートの化粧品売り場で買い求めていたこともあったが、ファンデーションを塗らない休日の方が肌の調子が良いことに気が付き、思い切って素肌で過ごすようにしてみたら、みるみるうちに肌の内側から張りが出てツヤツヤと輝くようになった。
アイブロウとアイライナー、マスカラさえ使っていれば、化粧をしているように見えるから不思議だ。人に会う時は、口紅をつけることもあるが、大抵はグロスだけで済ませてしまう。
 久しぶりに晴れた空は、抜けるように青く、ポストカードから切り抜いたような真っ白い雲が流れて、東京の空とは思えないほど美しかった。
 私は、練馬園芸まで歩いて行くことにした。加藤匠が歩いて通う道かもしれないと思うと、それだけで胸が高鳴った。
 マンションを出る時、3階のベランダを見上げてみたが、人の姿は見えなかった。けれども、加藤匠が練馬園芸で働いているのか、今日は出勤日なのか、確証はないのに、自分の直感は正しいような気がしていた。
 
 30分も歩いたのはいつぶりだろうか。うっすらと汗をかいていたので、練馬園芸が見えたところで、自動販売機のアイスティーを買って一口含んだ。もし、加藤匠がいた場合、喉がカラカラで声が出ないと恥ずかしいと思ったからだ。
 自動販売機に映る自分を見て、まるでデートに向かう直前の女子高生のように、髪を直し、唇の上下をすり合わせた。
 とはいえ、デートではないし、観葉植物を買いに来ただけだからおしゃれな服装はしていない。ジーンズに、白いオックスフォードのボタンダウンシャツという恰好は、私が案外気に入っている組み合わせだ。
 
 少し息を整えて、練馬園芸のドアを押した。「いらっしゃいませ」という女性の声がしただけで、あとは静まりかえっていた。
 店内は広く、左手にカフェ、右手には手前が切り花、奥には屋内用の観葉植物が所狭しと並んでいた。階段がらせん状になっており、両側には、観葉植物の鉢が並んでいた。2階まで売り場が続いているらしい。
店内をぐるりと見渡し、外に出ると、庭木用の植物や野菜の苗、たい肥や培養土、プランターなどが並んでいた。
 かすかに柑橘系の匂いがする。少し進むと、今度はラベンダーの香りがした。その場にいるだけで、心が洗われるような、心地の良い空間だった。金木犀や桜、蜜柑、松など、ありとあらゆる種類の木を見ていると、マンションよりも庭付きの一戸建てに住みたいという気持ちが湧いてきた。
 「いらっしゃませ」
聞いたことのある声だった。振り向くと、そこにはグランコーポKで出会った男がじょうろを持って水をやりながら、こちらを見ていた。
 目が合うとにこりと微笑んで「気になるものがあったら声かけてくださいね」と言った。
私は、「あ、はい。」と曖昧な返事をするのが精いっぱいだった。
 するとその男は、
「あれ?同じマンションの方ですよね?いやあ、どこかで見たことがあると思って、てっきり常連さんだと思っていました。」
と言うではないか。と、いうことは、私が植物に見とれている姿を見られていたということだろうか。私は、自分の顔がみるみる赤くなっているのを感じた。
 男がつけているエプロンには名札がついており「加藤」と記されていた。やはり加藤匠37歳、グランコーポK302号室の住人に間違いなさそうだ。
「部屋用ですか?ベランダ用ですか?」と尋ねられ、私はとっさに「あ、家の中に何か緑があったらなぁ、と思って。」と口をついて出た。
 すると、加藤匠は、
「それなら中の方が良いのがそろっていますよ。ここは主に庭木用の植物とかプランターで育てる野菜やハーブが置いてあるので。ご案内しますよ。」と微笑んだ。
 私は、もう何も声が出せなくなり、その背の高い男の後ろをついて歩いた。
 加藤匠は振り向きながら、「最近引っ越してきたのですよね?前は男子学生さんだったから。結構夜中まで友達と騒いだりしていたので、上の僕の部屋まで聞こえてきて迷惑していたのです。あなたみたいな人が越してきてくれて良かった。」
そう言われて、私は、自分のマンションでありながら、グランコーポKが加藤匠のマンションであるかのような違和感を感じた。
 それでも、「静かな住人が越してきてくれて嬉しい。」という表現を「あなたに出会えて嬉しい。」と脳内で変換してしまうほど、加藤匠には男性的な魅力を感じた。
 まだ当分は、自分がマンションのオーナーであることは伏せておこうと心に決めた。
 「大きさとか種類とか、ご希望のイメージはありすか?」と加藤匠は、私の目を覗き込むように問うた。
私は、「あの、特には決めていませんけど、今、部屋に何も置いていなくて、大きい方がいいかなって思います。」と呟くような小さな声で返事をした。
「そうですか。今日は車ですか?」
意外な問いかけに、「いえ、歩いて。」と答えると、「そうか。それだと持って帰るのが大変だからなぁ。」と加藤匠は独り言のように呟いた。
 「今、僕の部屋にあるのはこのオーガスタっていう観葉植物です。南国リゾートみたいで結構気に入っているんです。窓側の日が当たるところに置くと、あとはほとんど手がかかりません。それから、このパキラは有名ですね。あとは少し小さくなりますが、向こうにあるサンスベリアとかポトスなんかも人気があります。アイビーなんかも手入れは簡単です。」そう言いながら、「あぁ、大きい方が良いんでしたね。」と自らの発言を訂正していた。
私に説明しながら、加藤匠は自分で自分の言葉に酔いしれているようだった。
「どんどん触れてみてください。ペットと同じで、目が合う、というか、この子を連れて帰りたいっていうフィーリングがあるのですよ、植物にも。」と少し照れ臭そうに言った。
 私の頭の中は、もう加藤匠で溢れかえり、正直、観葉植物はどうでも良くなっていた。
「さっき一番初めに仰っていた、オーガスタ?でしたっけ?あれ、素敵ですね。」
どんな植物であれ、加藤匠の持っているものならばそれが一番素敵に思えた。
「えぇ、オーガスタ。あれは可愛いでしょう?」
「それの一番小さいのだとどれくらいの大きさになりますか?」
私がそう言うと、加藤匠は、
「えぇっと、一番小さいのだとこのあたりですけど、良かったら触ってあげてください。気が合うのがありましたら、配送しますよ。あとで、お得意様のレストランに配送があるので、ついでに運んであげますよ。内緒ですけどね。」最後は声を抑えて、私に目配せをしてきた。
なんなのだ、この男は。完全に私を虜にしているではないか。少し腹立たしいような気さえしてきた。
 「でも、良いのですか?そんなことまでして頂いて。」
「大丈夫です。契約しているイタリアンレストランに配送の予定があるので、そのついでです。後から恩を売ったりしないから安心してください。下心はありませんから。僕は、人間より植物の方が愛せるみたいでして。」
最後の一撃は私の膨らんだ胸に針を刺した。一気にしぼんでいくのがわかった。下心、あって欲しかったのに。
 
レジカウンターの中から大きな声で、
「加藤くーん、電話出られそう?」
加藤匠は、年配の女性にそう呼ばれて、「今行きます。」と返事をした。
「それじゃあ、決まったら教えてください。」とだけ言い残して、カウンターの中へ入って行った。
 私は、言われた通り、順番に植物に触れていった。やはり、加藤匠の部屋にあるオーガスタを我が家にも迎え入れたいと思った。
 その中で、小さい方から二番目の1メートルくらいの高さのものを選んだ。
 5分位経っただろうか、加藤匠が戻ってきた。
「いい子いました?」
その言葉だけ聞くと、まるでキャバクラの指名をしようとしているみたいだと思って笑えた。もちろん、私はそんなお店に行ったことはないのだけれど。
「じゃあ、この子でお願いします。」
と一番小さなオーガスタを指さした。
「この子、いいですよね。僕もいいと思います。」
そう言うと、軽々とカウンターへ運んで行った。
「5800円です。」
そう言われて、私は財布から一万円札を取り出した。
「あの、配送料とってください。」
思い切って言ってみたが、
「大丈夫ですよ。引っ越し祝いってことで。」
そう言いながら、にっこり笑う加藤匠の目じりには皺がいくつも出来、「この人は人生の中でたくさん笑ってきたのだろうなぁ」と感じた。
「大体17時から18時の間には行けると思うのですけど、その時間帯で大丈夫ですか?」
と言われた。
「はい。家にいます。あの、うちは202号室です。」と答えると、
「はい、知っています。」と返されて二人で笑った。
 帰り道、私が部屋に入っていく姿やベランダにいる姿を見られたことは無いはずなのに、どうして私が202号室に住んでいると知っているのだろうと考えた。202号室の男子学生が退去したからと言って、私がその後に入居している理由にはならない。
 自分が気づいていないだけで、加藤匠は観察力が鋭い男なのだと言う結論に至る頃に、自宅に着いた。玄関を開けると、もわっと熱い空気が押し寄せてきた。もうすぐ夏がやってくるのだろう。
 その日の18時過ぎ、玄関のチャイムが鳴った。自分が着ている洋服を見て、もう少し可愛らしいワンピースに着替えようかと思ったけれど、それもおかしいような気がしてそのまま待っていた。本当に何もせずに、ただ緊張して、待っていた。
 玄関を開けると、「こんばんは。お待たせしました。レストランでオーナーの世間話につかまってしまって、こんな時間になってしまいました。」と先ほど見た顔があった。
 「どうもありがとうございます。」と私が言うと、「いえいえ、ついでですから。」と笑った。
「この子、今朝水をあげたから次は明日で大丈夫です。可愛がってあげてくださいね。」と、まるでペットを手放す飼い主のように、加藤匠は愛おしそうに葉を撫でた。
「それでは失礼します。おやすみなさい。」と玄関にオーガスタを置いてドアを閉めてしまった。それは、本当に配送会社の人間のように呆気なく、あっさりとしていた。
 私は、もしかしたら部屋の中まで運んでくれるかもしれないと思っていたのだけれど。
 少しして、軽トラックが発車する音がした。それから一時間ほどして、上の部屋の玄関が開く音がした。先ほどまで、うちの玄関にいた男が自分の部屋へ帰っていく。そして、その部屋は私の部屋の真上。きっと間取りは同じだろう。
 私は、同じマンションの真上の部屋の男の魅力にとりつかれ始めていた。

お隣にあたる201号室には家族三人が住んでいる。世帯主は父親であろう喜多村和輝52歳。日に焼けたように色の黒い男で中肉中背。どこにでもいるようなお父さんと言う風貌をしていた。賃貸契約書の勤務先は、大手の総合デパートの名前が記してあった。妻子のいるごく普通の家族だ。妻の年齢はわからないが、随分と若く見える。それに子どもがまだ幼い。
 今年度から近所の幼稚園に入園したようで、毎朝、「ほら、靴履いて。先生が待っているよ。」という母親の声、声というよりも怒鳴り声が聞こえてくるので、もうそろそろ8時45分かとわかるくらいだ。
 息子の名前はわからないが、「てつ君。と呼んでいるので哲也か鉄郎か、それともてつ、だけなのか。もしかしたら今時の名前なのかもしれなかった。
 てつと呼ばれている幼子は、よく泣く子で、泣き声が聞こえてくるのはほぼ毎日。朝登園時に泣いて玄関から出てくることもあれば、夕方から夜にかけて泣いていることもある。
 子どもの性格もあるだろうが、母親が結構厳しいようで、「どうして片づけができないの。もうおもちゃ捨てるよ。」と言った言葉がよく聞こえてくる。
 幼稚園に通う子どもがきちんとお片付けができるようでは、気持ちが悪いような気もするが、私は子育ての経験がないから、口を挟める身分ではないであろう。それによその家庭のことだ。
 どうしてここまで知っているかというと、隣の声が丸聞こえだからだ。鉄骨鉄筋造りのマンションとはいえ、築年数も古いことに加え、隣の母親は換気をするのが好きなようで、窓が開いているようだった。時に、玄関ドアにストッパーを噛ませて5センチほど開いていることもある。
 
 ある日、私がスーパーから戻ると、階段の上から泡が立った水がとめどなく流れていたことがあり、どこかの部屋の排水口が溢れているのかと焦ったが、201号室の母親が玄関の掃除をしていた、ということがあった。私と目が合うと、「あ、すみません。この時間は誰も通らないと思って。」とばつが悪そうに笑っていたので、「いえ。お掃除ですか?」と尋ねると、「そうです。私、掃除が大好きで。玄関って結構汚れるでしょう。たまに洗剤で掃除するとすっきりするのです。濡れませんでしたか?」との返事があった。こちらは靴底こそ濡れたものの、洋服までかかるような歩き方はしていないので、大丈夫である旨を伝えて、私は自分の部屋の鍵を開けた。
 人当たりは良さそうな印象であった。ただ、専業主婦で子どもにつきっきりというのは似合わないような、外に出て働いた方が輝けるタイプのように思えた。
 父親は平日に休みがあるようで、幼稚園に送りに行くこともあるようだった。いつもにこやかで、穏やかな笑みで挨拶をしてくれる、感じの良い男性であった。子どもの方も、父親によく懐いていると見えて、手を繋いで歩く姿は小躍りするようにステップを踏み嬉しそうだった。
 「♪おともだち~」といった歌を父子で一緒に歌って歩いているのを見たこともある。
 私も幼い頃、父とあんな風に歩いたことがあっただろうか、とベランダでぼんやりと遠ざかる父子を眺めていた。
 私はこの先、結婚して子どもを持つことがあるだろうか。もうそろそろ子どもを産むのが難しい年齢にもさしかかっている。私も、あの母親のように、子どもを叱りつけるのだろうか。あの母親に、子の無い私の気持ちなど到底わからないだろうと思った。
 
 毎日、特に決まった予定もなく、ぶらぶら散歩をしたり、裁縫をしたりして過ごした。
 この辺りは、学生が多く、飲食店が充実している。定食屋が多いが、洒落た喫茶店もある。駅前にある流行りのケーキ屋が行列を作っているし、テイクアウトのケバブ屋や焼き鳥屋も繁盛している。
 私は、料理をするのが好きだが、一人分作るのは味気なく、外食で済ませることも多くなった。
ふらりと入った路地裏の大衆居酒屋がランチ営業をしており、海鮮丼と味噌汁、お新香のセットが880円と良心的で味も良く、また来たいと思った。ほとんど食べ終えて、さてこの後はどうしようかと考えていると、新しく入って来た大学生2人組の会話が耳に入った。
「ここ、ここ。安いし美味いんだよな。」
「俺、焼肉定食に決まり。」
「俺は照り焼き丼だな。ここさ、夜も結構いけるんだよ。部活の後、よし先輩に連れて来てもらってさ、炙りチャーシューが夜しか出てないメニューなんだけど、それがもう最高。すごい分厚いの。それで肉汁じゅわー。白髪ねぎが大量に載っているんだけど、からしをちょっとつけてねぎと一緒に食べるとビールが進む、進む。あれ、昼も出してくれたらいいのにな。一回食べたらやみつき。はまるぜ。今度、一緒に来ようぜ。飲めるんだろう?」 
 どうやら近くの大学の二人組らしい。一人は部活で夜遅くなるようで、もう一人はインドアな雰囲気を漂わせていた。
 体育会系の若者の口ぶりが、満腹であるはずの私の食欲をかき乱し、炙りチャーシュー、必ず食べてみたいと、私は思った。
 
 店を出て、本屋の横に小さな和菓子屋を見つけた。昔からあったのだろうか。店構えは随分新しいようだったが、おかみさんの腰は45度に折れ曲がって、長いこと商売をしているようだった。「草餅あります」の張り紙に惹かれ、店ののれんをくぐった。
さて、いくつ買おうかと考えた時、ちちぶ不動産の主人の顔が頭をよぎり、ちょっと顔を出してみようと思った。
 草餅を5個箱に詰めてもらい、自分の分は別に1個ポリエチレンパックに入れてもらった。
ちちぶ不動産は歩いて5分ほどのところにあった。今日も相変わらず暇そうに、主人は新聞を広げていた。
「こんにちは」
と、私がドアを手動で開けると、主人はメガネをずらして「あぁ、どうもどうも。若宮さんところ娘さんだねぇ」とのんびりした口調で答えた。
「もう引っ越しは済んだんでしょう?どう、住み心地は?」
「えぇ、お陰様で。これ、宜しかったら召し上がってください。」
私が差し出した包みを見て、「こりゃありがたい。この店が好きなんだよ。あんこがね、絶妙な甘さで、よそでは出せない味でさ。ご主人が北海道から取り寄せた小豆を使っているらしいんだ。後で頂くとしますわ。ありがたや。」
主人が両手を合わせて顔をほころばせている姿を見て、私も嬉しくなった。
 「まぁ、座ってください。どうぞ、どうぞ。」と言われ、私は主人と机を挟んで向かいにある来客用のソファに腰を下ろした。
 「特に用があるっていうわけではないのですが、どんな方が住んでいるのかご存知でしたら教えて頂こうかと思って、寄らせてもらいました。」
私は、何か用事を見つけようと思い、加藤匠のことを知りたくてつい口から出まかせが飛び出た。
 「なるほど。ちょっとお待ちくださいよ。グランコーポKの資料はっと。あった、あった。はいはい。」
 主人はメガネをずらして、ファイルを開いた。
 私はドキドキしていた。
「じゃあ、順番にいこうかね。101号室は、本庄優馬。えぇっと契約が去年だから、大学2年生か。そうそう、確かお父さんと来られてね。随分おとなしそうな子だと思ったよ。この子が入る前に住んでいた学生さんが、友達を呼んでどんちゃん騒ぎをしたことがあってね。2階の奥さんから、子どもが眠れないって苦情が入ったからよく覚えているよ。卒業して出ていってからは、おとなしい子に貸そうと決めていたんだよ。」
「2階って、うちの隣の201号室ですか?そうそう、えぇっと喜多村さんだね。奥さんは随分若いだろう。見たかい?」
「えぇ、ちらっと見かけて挨拶したことがあります。」
私は、そう答えた。
「あの奥さんが結構性格がきついみたいだね。ご主人は優しそうな人だろう。デパートに勤めている感じのいい人だよ。今は、新宿店のどこかの売り場の責任者だって、更新手続きの時に言っていたなぁ。スーツ売り場だったかな?男の子どもさんが可愛いだろう。よくお父さんとその辺を歩いているのを見かけるよ。ここにも何回か来たことがあったね。」
「そうですか。優しそうですものね。」
「それから、101号室は吉村塗装だったね。ここは、日中ほとんどいないだろう。自宅はもうマンションの向かいだから、大体は朝道具を取りに来て、夕方戻しにくるぐらいだって言っていたね。毎月締め作業は事務所でやっているみたいだけど、ほとんど荷物置き場だってことだよ。」
「確かに、出入りするのは見かけないです。」
「えぇっと、202号室はあなただから、あとは3階か。」
そう聞いたとたん、私は胸が締め付けられるような感じがした。
「301号室は、荻野目さんだね。そうそう、この親子。息子さんとお母さんだけどね、ご主人と別れてきたらしいよ。詳しくは聞いていないけれど、息子さんがしっかりしたいい子でね。将来はお金を貯めてお母さんの為に家を買いますって言っていたっけな。頼りになるよね、男の子って言うのは。うちのせがれは全然だめだけどね。」
主人はおでこをぽりぽりと掻いてわらった。
「お次は、302号室。加藤匠さん。勤務先は練馬園芸。この人はあんまり印象が無いなぁ。背の高い人だよね。まあ、ざっとこんなもんかな。何か気になる人がいたかね?トラブルがあったら、あなた一人で解決しようとしない方がいい。すぐに連絡してよ。」
私は、期待していた加藤匠の新しい情報が全くないことに落胆を隠せなかった。
「ありがとうございました。今のところは特に問題なさそうです。」
そう伝えると、ソファから立ち上がった。
「どういうわけか、若宮さんのところは空室が出ないですぐ決まるよね。入っている人も多少騒がしいくらいで、大きな問題を起こすような人はいないし、結局は若宮さんの人徳だと思っているんだ。」
「いやぁ、そんなことないと思いますよ。」
私が否定すると、
「いやいや、それがあるんだって。こんなに爺さんにもなればわかるのよ。どこかは言えないけど、いつも部屋が空いていて、紹介したって全然埋まらないマンションがあってね。それでやっと入ったと思ったら夜逃げだとか、家賃滞納だとかトラブルばっかり。一応、入居の時に人は見ているつもりだけど、それでもわからないもんだね。変な住民ばっかり集めちゃう物件っていうのは確かにあるんだよ。グランコーポKは安泰だよ。お父さんが天国から見守ってくれているから大丈夫だろう。」
 私は、それを聞いて、父が褒められているようで嬉しくなった。
 
 思うような情報は得られなかったけれど、父と自分のことを肯定されているような気がして、気分が良かった。
 駅前に戻り、コーヒー専門店でオリジナルブレンドの豆を挽いてもらい、グランコーポKに戻った。先ほど買った草餅とコーヒーで、私はほろ酔い気分のようなとろりとした余韻に浸った。
 
 次の朝は、窓を叩く風の音で目が覚めた。時計の針は、7時ちょうどを指していた。
 今日は家に籠って針仕事をしようと決めた。昨日買ったコーヒーを淹れ、冷凍庫にあったクロワッサンとハム2枚を一緒にアルミホイルの上に載せて電子レンジに入れ、トーストボタンを押す。
 テレビの天気予報を眺めながらぼんやりとコーヒーをすすると上の階の玄関を閉める音の後に、階段を降りるかすかな足音が聞こえてきた。
 未だかつて、マンションの真上の階の住人に恋をした女性などいただろうか。ましてや自分はマンションのオーナーである。合鍵を使って入ろうと思えば、いつだって302号室に侵入することもできるのだ。それではまるでストーカーではないか。考えただけで恐ろしくなる。
所詮、私には片思いがお似合いだと自分で自分を納得させることで、妄想を中断させた。
 風は強いが太陽は明るく、洗濯物がよく乾きそうだ。物干し竿が一本しかないので、たくさんは干せない。今日のところは布団カバーだけにしておこう。
 
 黒字に白の水玉のワンピースの上に白のパーカーを羽織り、先ほどまで着ていたパジャマと布団カバーをコインランドリーに持って行った。
 マンションに戻って、物干し竿をウエットティッシュで拭いていると、強風に煽られて藤の花びらが一枚、ベランダに舞い込んだ。この強風で、藤は一気に散りそうだ。
 午前中は、部屋の掃除をして過ごした。昼食は、昨晩作った大根と鶏むね肉の煮物とご飯、インスタント味噌汁で済ませ、午後になると風が止んだので、近所の公園にでも散歩に行ってみようと思い、スニーカーを履いた。玄関を出るところで、201号室の親子が階段を登ろうとしていた。
 「てっちゃんが鍵開ける。」とぶかぶかの園服をきた可愛らしい男の子が、一段ずつ階段を上がってきた。
 後ろにいた母親が、私の姿を見て、
「ほら、早く上がって。」と急かすので、私は「ゆっくりで良いですよ。」と声をかけた。
 階段を登り切ったところで、てっちゃんは「こんにちは」とぺこりとお辞儀をしてくれた。
私は、その大人っぽい礼に驚きながら、
「こんにちは。お利口さんね。」と声をかけた。
後ろから上がってきた母親が、
「いつも息子が騒がしくてすみません。」と頭を下げたので、私は内心、
「騒がしいのはあなたの怒鳴り声ですけどね。」と思ったが、もちろん口に出せるはずもなく、「いえいえ、全然気になりませんよ。とってもしっかりしたお子様ですね。」と大げさに褒めておいた。
 母親というものは、我が子を褒められると嬉しいようで、
「ありがとうございます。」と母親は笑みを浮かべた。その笑顔は、造ったものではなく、安堵の表情から自然と湧き出た笑みのように見えた。
 性格のきつい母親だと思っていたが、もしかしたら、本当はデリケートな性格で人一倍気を遣うタイプなのかもしれないと思った。
 「失礼します。」と会釈をして、私は階段をゆっくりと降りた。
201号室の玄関の中で、
「てっちゃん、こんにちはって言えて、えらかったね。」と言う母親の声が聞こえてきた。
 「てっちゃん、おりこうさん?」と尋ねる子どもの声に、胸が熱くなった。
 あの子は、母親に褒められたくて一生懸命なのだなぁと思ったからだ。
 私は、幼少期の自分とてつという少年を重ねていた。
 父と母に褒めてもらいたくて、家の手伝いをよくしていた記憶がある。それから、学校の勉強も、あまり好きではない体育の授業も自分なりに精一杯努力した。
 年頃になったら、結婚して子どもを産んで、両親を喜ばせるのだと信じて疑わなかった。
 今となっては、もう叶わないような気がしているけれど。
父は、結婚しない娘をどう思っていただろうか。孫を抱くことを夢見たまま死んでいったのだろうか。母は、孫の世話をしたいと思っているだろうか。 
 結局私は、自分の人生を、常に誰かに喜んでもらう為だけに生きてきたような気がする。父と同じ名前の浩史は、こんな私と結婚しなくて正解だ。恋人だったとはいえ、相手に恋をしていたかすら怪しくなってくる。
 それに引き換え、加藤匠のことは、自分の為だけに好きになったと思う。多くの会話を交わしたわけではないのに、完全に恋に落ちてしまった。
 
 近所の公園は、幼稚園帰りの親子で賑わってきた。子どもも犬も連れていない40歳を目前にした私が、のんびり散歩をしていたら何だかおかしいような気がして、公園を通り抜けてまた自宅へ戻った。
 郵便受けには、近所にオープンしたラーメン屋のチラシがクーポン付きで一枚入っているだけだった。
 いろいろなことが頭に浮かんでは消え、そわそわした気分になってきた。こんな時には眠るのが一番良い。まだ15時前だから、数十分の昼寝ならば、夜の睡眠にあまり影響しないだろうと思って、布団に入った。
 玄関のチャイムの音が聞こえた気がして目を開けると、窓の外はもう真っ暗だった。宅配便は201号室に来ていたようで、先ほど挨拶を交わした母親の声がした。
 時計を見ると18時を過ぎていた。3時間近く眠ってしまったようだ。
干してあった布団カバーとパジャマを取り込み、少しの間呆然としていた。
 今夜は間違いなく眠れない。さて、今から何をしようか。テーブルの上に置かれたラーメン屋のチラシが目に留まり、行ってみようかとも思ったが、夕食にラーメンはあまり好きではない。それにクーポンはランチタイム限定で200円オフだと書いてある。
 外へ食べに行く気分になっていたので、とりあえずは出かけようと思った。
 
 行く当てもなくあるいていると、ふと、江古田駅の北口に銭湯があったことを思い出した。家で入れば安上がりだが、いつも一人で過ごしている私にとっては、誰かと入る風呂というものそれだけで嬉しいものだ。この時間が混んでいるのか空いているのか見当はつかなかったけれど、とりあえず一旦家に戻って、タオルを持って行くことにした。
 銭湯の入り口で460円払い、のれんをくぐろうとして目に留まった。ボディーソープが80円、シャンプーとリンスがそれぞれ100円で販売されている。番頭のご老人に尋ねてみると、やはり備え付けはないとのこと。かなり割高だが小さなボトルに入ったボディーソープとシャンプーを買い求めた
 私の髪は、黒く豊かで艶があり、リンスをしなくてもするすると髪が流れる。その点は、両親とその先祖に感謝すべきだろう。髪のケアはほとんどしていないけれど、天使の輪と言われる頭部を一周する光の輪がいつも浮かんでいる。
 昔ながらのロッカーに鍵をかけ、すりガラスの引き戸を開けると中には年配の女性が一人いるだけだった。一人は曲がった背中で足を洗っており、もう一人はふくよかな胸を突き出して風呂の縁で足だけ湯に浸かっていた。
 私は、買い求めたボディソープで身体を洗うと、ゆっくりと湯に入った。温度計は44度を指しており、かなり熱い。 
 先ほど、腰かけていたふくよかな女性は、風呂から出て脱衣所へ向かって行くところだった。私は、こっそりと水が出る蛇口をひねり、その近くの湯をかき混ぜながら湯に浸かった。 
 腰の曲がった女性が湯船に向かって歩いてくるのを確認した私は、湯船から出て今度はシャンプーをした。そしてまた、入れ替わりに湯船に入った。
 銭湯のルールはわからないが、何となくそれが正解なような気がした。
 30分ほど滞在しただろうか。3分20円のドライヤーをかけて、化粧水を持って来ていないことに気が付いた。番頭の横のケースにも並んでいないようだ。
 リュックサックのポケットにいつも入れて持ち歩いているワセリンを、顔と身体に塗り、銭湯ののれんをくぐった。夜風は涼しかったが、火照った体には心地良かった。
 夕食は何を食べようかと考えていた時、この間ランチを食べた大衆居酒屋での学生の会話を思い出した。
 肉汁じゅわーの炙りチャーシューを食べてみようではないかと思ったら、次第に、今夜必ず炙りチャーシューを食べたいと言う気持ちになり、売り切れになって食べ損ねてははならないと足早になった。
 「いらっしゃいませー。何名様ですか?」
と言われて、サラリーマンやカップルでテーブルを囲んでいる先客を見て、少し気恥ずかしくなり、私は小さな声で「一人です。」と人差し指を立てた。
 「カウンターでも宜しいですか?」と言いながら、おしぼりはカウンターの一番隅に既に置かれていた。
 寂しい女だと思われているような気がしたのは気のせいで、誰も私のことなど気にかけずに酒とつまみを楽しんでいた。
 店員が渡してくれたメニューのファイルはランチメニューの何倍も厚かった。とりあえずビールと刺身盛り、大根サラダと炙りチャーシューを注文した。 
 ビールと同時にお通しのたこわさが来て、ぐいっと半分ほど飲み干した。銭湯から出て、ガラスケースに入った瓶入りの牛乳を飲もうと思ったが、飲まなくてよかった。
「はぁー」っと思わず息が漏れる。
 「いらっしゃいませ」という店主の声に続いて、がやがやと入って来る客の声がした。振り返ると、ジャージを着た4人組の若者だった。近くの大学で、部活が終わった生徒かもしれないと思った。
 その後も続々と、客が入って来た。カウンターの一番隅に案内されて良かったと思った。
 何人かの客が入ったのち、「こちらへどうぞ」と案内された客は、私の隣を一つ開けて、椅子を引いて腰を掛けた。一人客のようだった。ふわりと花のような香りがしてそちらを向くと、そこにはよく知った顔があった。
 「あれ?どうも、こんばんは。」
加藤匠だった。
 穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。顔はすっぴん。無造作に束ねた乾ききっていない髪、左手には半分残ったビールジョッキに、右手は割箸を握ったままだ。
 「こんばんは。」と返すのが精一杯だった。
「ここ旨いですよね。僕、夕飯を外で済ます時は、大体ここかもう一軒別のとこか、なんですよ。ここでは初めてお会いしましたね。」加藤匠は、私が無防備な姿をしていることなど気にも留めない様子で話しかけてきた。
「えぇ、この間ここでランチに食べた海鮮丼が美味しくて、今日は初めてこの時間に来ました。」
加藤匠は、いつもの笑顔を浮かべた。
「そうですか。僕も海鮮好きなのです。ここは新鮮だし、ネタが分厚いから良いですよね。」
と言いながら、右手を挙げて店員を呼んだ。
「豚バラ丼に茶わん蒸し付きでお願いします。」と注文を終えると、再び私の方を向いて、
「ここはランチも安いし、穴場ですよね。この辺りの他の店よりかなりお得です。」と自らの発言に納得するかのように頷いて話した。
 「お待たせしました」という声とともに、私の注文したメニューが一度に運ばれてきた。
 店は忙しいようで、いちいち客が食べるペースや順番など気にしていられないようだった。
 目の前に並べられた、大根サラダと刺身と炙りチャーシューを見て、また恥ずかしくなってきた。まるで疲れたサラリーマンの頼む料理ではないか、まだ独身の乙女だというのに。
 「良いチョイスしますねぇ。」と言われて、もう帰りたい気分だった。
 私の頬が赤かったのは、多分ビールのせいだけではないはずだった。
 「いらっしゃいませ。2名様。えぇっとお待ちください。」という声が聞こえ、店員がカウンターに近づいてきた。
 5つあるカウンター席は一つとびに開いており、加藤匠を挟む両側が開いていた。
 「すみません、お客様。こちら側に移動してもらえませんか?」店員が加藤匠を、私とは反対側の隅から2番目の席に移動するように促した。
 加藤匠は、「あぁ、はい。」と言われるがまま、先ほど手を拭いたおしぼりを持って少し腰を浮かせて席を空けた。
 移動しおわらないうちに、店員が入り口の方へ「お待たせしました。2名様こちらへどうぞ」と大声で言い、スーツを着た50代くらいのサラリーマン二人を私の隣の席へと案内した。
 私は、安堵するとともに、店員の言われるまま、私とは反対側に移動した加藤匠を恨めしく思った。私の隣に座れば良いのに、と。
 
 私は複雑な気持ちを解消するがごとく、目の前の料理をかき込むように口に放り込んだ。炙りチャーシューは表面がカリカリに焼けて、一口噛むとじゅんわりと中から肉汁が溢れだし、絶品と言えるしろものだった。脂ぎった口の中を洗うようにビールを流し込んで、私は席を立った。
 隣の男二人は、ビールを飲みながらお通しのたこわさをつまんで、大笑いをしていた。どうやら2軒目のようで、既に酔っぱらっているようだった。
 
 席を立ち、会計に向かう時に加藤匠の方をちらりと見ると、私の視線に気づいて軽く会釈をしてくれた。それだけでまた、胸の鼓動が早くなるのを感じた。
 夜の大衆居酒屋は、私にはハードルが高すぎたようだ。昼とは違った騒がしい客に、辟易とした。
 
 家に戻る前に、コンビニエンスストアへ寄った。追加注文する予定だったけれど、それが叶わない状況になり、鮭おにぎりとソフトクリーム、アイスコーヒーを買った。酒を飲むとアイスコーヒーを欲するのは昔からだった。
 グランコーポKに着いて202号室の玄関の鍵をゆっくりと開けながら、加藤匠は明日も仕事なのだろうかと考えた。それとも、元々酒は飲まないのだろうか。豚バラ丼定食に茶わん蒸しを付けて食べるのがお決まりなのだろうか。そんなことを考えながら、テレビのバラエティ番組の不自然な笑い声を聞いていた。

5月の中旬にしては珍しく、嵐のような雨風がベランダの窓を叩く音で目が覚めた。時刻は6時23分。いつもなら、外は明るくなっている時間だが、今日は夕方のように暗い。窓には、どこかから運ばれてきた枯れた杉の葉が、びたりと張り付いている。雨が打ち付けるように窓を叩き、そのうち割って入って来そうだ。
 テレビの天気予報によれば、昼過ぎには台風は通過するらしい。こんな天候でも、加藤匠は練馬園芸に歩いて出勤するのだろうかと心配になった。
 まだ眠いような気もするが、こううるさくては眠れない。かといって、起きてすることもない。お気楽といえばそれまでだけれど、毎日決まった予定がないというもの結構辛いものである。
 グランコーポKのローンは終わり、入居者がいる以上、毎月決まった金額が振り込まれると思うと、労働意欲が無くなる。
 そうか、父はこのことを心配していたのだと合点がいく。ただ、毎日が過ぎていく。贅沢なようで、結構はつまらない毎日。一緒に出かけるような友達はいない。高校時代の友達は、みな結婚し子どもがいるから、独身貴族の私とは話が合わない。せめて私に子どもがいれば、毎日が忙しく過ぎていくのだろうけれど。
 テレビのチャンネルを変えながら、11時過ぎまでぼんやりと過ごした。
 その時、久しぶりに私の携帯電話が震えた。ちちぶ不動産のご主人からだった。
 「どうもどうも。あのね、この台風で、どこかから小石か何かが飛んできて、301号室の窓にひびが入ったっていう連絡があってね。これからうちの方でガラス屋を手配しようと思うのだけど、良いかね?」
とご主人は言った。
 「ぜひお願いします。」と私は答えた。
 
 グランコーポKは、古いマンションだけあって、修繕費が結構かかっている。父が亡くなる一年前には外壁の塗り替えをしたようだし、私が住んでいる202号室の風呂場から水漏れして102号室が水浸しになったこともあるらしい。その度に、修繕費が嵩み、外壁塗り替えは約300万円、水漏れ工事は60万円支払った形跡がある。
 今回は、台風による窓ガラスの修理だから、マンションで加入している火災保険の自然災害補償でカバーできそうとのことだった。
 父が、マンションを保有していながら、ほとんど贅沢といえるような生活をしてこなかったのは、この修繕費をきちんと積み立てていたからだと思う。
 ちちぶ不動産のご主人からの電話を切った後、私は301号室を訪ねてみた。
 チャイムを押すと、60代くらいの女性が出てきた。契約書によれば、荻野目康代58歳。職業は病院の医療事務。
 「あの、グランコーポKのオーナーの若宮です。202号室に住んでいます。窓ガラスにひびが入ってしまったそうで、ご迷惑をおかけてして申し訳ありません。」
 直接の犯人は、台風による大風とそれに乗って飛んできた小石だが、ここはオーナーの私が謝るのが筋だろうと思って謝罪の言葉を述べた。
 ふんわりと柔らかいパーマをかけたその女性は、
「あら、オーナーさん。振込先が変わったから、不動産屋さんに聞いたら、亡くなったと聞きました。娘さんですか?」
「そうです。生前は父がお世話になりました。」
「いえ、こちらこそ。優しいお父様でしたね。いつもマンションの掃除にいらしてくださっていて。」
荻野目康代は、父を思い出すように、遠い目をして、まるで同情するかのような目で私を見た。
「あの、窓ガラスの修理はちちぶ不動産の方で今手配してくれていますので、もう少しお待ち頂けますか?」
「あら、早いわね。ありがとうございます。ほんの少しのひびなのだけれど、何かの拍子に割れても怖いしね。」
「そうですね。」
と、話していると、また携帯電話が鳴り、表示にはちちぶ不動産と記されていた。
「すみません、少しお待ちください。不動産屋さんからです。」
と断りを述べて電話に出た。
「どうもどうも。今日の15時にガラス屋さんが行けるそうだから、301号室の荻野目さんにも電話入れておきますよ。」と主人が言うので、「それなら今、私の目の前にいらっしゃるので、私が確認します。お待ちください。」と電話口をふさいだ。
「今日の15時にガラス屋さんが来られるそうですが、ご都合はいかがですか?」と尋ねると、「大丈夫です。」と言うので、そのままご主人に伝えた。
 私は、立ち合いはしないが、何かあったら部屋にいるので知らせてくれるように伝えて、301号室のドアをそっと閉めた。
 用件が済み、回れ右をすると、302号室の玄関ドアが目に入った。この奥に、加藤匠はいるのだろうか、と思ったが、訪ねる用事もないのでそのまま階段を降りて自分の部屋に戻った。
 加藤匠が運んできたオーガスタは、大きな葉を広げ、まるで天に向かって両手を広げているようだった。
 
 午後になり、天気予報の通り、台風一過の青空が現れた。近所のスーパーへ買い出しに行こうと思って玄関を出ると、暴風雨の爪痕が見られた。マンションの階段下にはどこから舞って来たのか、枯れ葉とともに、茶色に染まったビニール袋と、コーヒーの空き缶が集まって井戸端会議をしているようだった。一旦部屋に戻って、それらを入れるごみ袋を持ってまた戻る。コーヒーの空き缶は、近くの自動販売機の空き缶入れに捨てることにしよう。元々よそから飛んできたものだから、資源ごみの日まで持っておくこともないだろう。
 汚れた空き缶を持って、スーパーへ向かった。途中の自動販売機の空き缶入れに放り込む時に多少の罪悪感はあったが、そういう真面目すぎる自分が誇らしくもある。
 私は、ポイ捨てはおろか、規律を破ったことは無い。人の気持ちを裏切るようなこともなるべくしないようにしている。だから、自分が傷つくことが多い。
 自分が傷つかない一番の方法は、人と関わらないことだ。そう気づいてからは、生きているのが楽になった。友人から何かに誘われても、気分が乗らなければ断る。判断はいつも自分の直感に委ねている。それを重ねていたら、段々と誘われること自体が無くなってきた。そうすると、ますます自分本位の生き方が出来るようになり毎日が楽しくなっていった。
 私は昔から直感が冴えている方で、状況が許す限り、直感に従って行動するようにしている。今日は、家から一番近い、地域密着型の個人経営のスーパーに行けば、何か良いことが起こりそうな予感がしていた。例えば、加藤匠に偶然会えるとか?それが何かはわからなくても、良いことが起こると信じていれば、大体はその通りになる。
 自分の直感を信じて、スーパーに到着すると、その予感が何かすぐにわかった。雨の日大特価と称して、鮮魚、精肉が全品30パーセント引きだったからだ。私は、家の冷凍庫のスペースを思い浮かべながら、出来るだけたくさんの鮮魚と精肉をかごに放り込んだ。午前中は、台風で出足が悪かったのだろう。新鮮な魚がたくさん並んでいた。
 30パーセント引きなのを良いことに、私は普段買わないようなものをたくさん買い込んだ。真鯛、バナメイ海老、紋甲いか、ホタテ、いさき、骨付きの鶏もも肉、ブロックの豚バラ肉、厚切りベーコン。それから、玉ねぎ、ニンジン、なす、プチトマト、長ネギ、オクラ、アスパラ、しめじ、エリンギ。それに無洗米とオリーブオイル。
 両手いっぱいに抱えた袋は家までもつだろうかというほどにパンパンに膨らんでいた。手首がちぎれそうなほど重い荷物を何とか家まで運び終えると、どっと疲れが出た。
 食材を仕分ける前に、冷凍庫に入っていたアイスクリームを平らげると、途端に疲労が回復するような気がした。
 私は昔から、空腹と眠い時には機嫌が悪くなる。大体の人はそうなのかもしれないが、私の場合は特にひどく、お腹が空くといらいらするので、なるべく空腹にならないように、細かく食事を摂るようにしている。食べられない状況の時は、野菜ジュースや飴玉で、血糖値を下げ過ぎないようにするのが私のやり方だ。
 疲れていたのは空腹のせいだったようで、アイスクリームで本来の自分を取り戻して、さて何を作ろうかと考える。冷凍保存する分は、トレイから出して食品保存袋に小分けにしてから冷凍庫に入れることにしよう。
 新しい米を買ってきたので、あと2合ほど残った米を使い切りたい。買ってきたばかりの食材を眺めて、パエリヤを作ることにした。
 フライパンにオリーブオイルを多めに流し入れ、チューブのすりおろしにんにくを落とす。玉ねぎ、真鯛、バナメイエビ、紋甲イカの輪切り、骨付きの鶏もも肉を炒めて一旦皿に取り出しておく。米2合分を炒め、先ほどの材料を載せ、水を入れてから塩コショウ、サフランを入れてあとはフライパンの上にアルミホイルで覆っておけば完成だ。火を止めてから、ピーマンの薄切りとプチトマトを飾り付けて、余熱で蒸らす。
 黄色く色づいた米をスプーンですくって味見をしてみたら、魚介と鶏肉の出汁がしっかりときいていた。コンソメを入れなくても十分美味しい。もう一度火を点けて、強火で一気に底を焦がす。
 そう言えば、私が横浜の家でパエリヤを作って振る舞った際、父は焦げた部分が好きだと言ってくれた。母は反対に、上の柔らかい部分が好きだと言った。私はどちらも好きだから、二人の子どもに違いないねと家族三人で笑ったことがあった。もう戻らない時間。その時は、なんてことのない瞬間が、本当は幸せだったりするのだろう。だからきっと、今この瞬間も後から思い返せば、ものすごく贅沢で幸せな時間に違いない。
 完成したパエリヤを誰かに見せたい、食べさせたいと思ったが、そんな相手はいない。一瞬、加藤匠の顔が思い浮かんだが、他人が作った料理を食べると言うのは勇気がいるものだ。きっと有難迷惑に違いない。
 そう思って、私はパエリヤを十字に分けて、四分の一を皿に取り、あとはタッパー3つに入れて冷蔵庫にしまった。
 一人暮らしには十分だと思ってリサイクルショップで購入した冷蔵庫は、扉が閉まらないほどにパンパンだった。料理が好きな私には、少し小さかったようだ。この冷蔵庫が壊れたら、次は大型の冷蔵庫を買おうと心に決めた。
 
 それから2週間、同じような毎日が続いた。そろそろ梅雨の時期がやってくる。
 私は、約2か月ぶりに横浜の実家へ帰ることにした。一人暮らしになった母が心配だからというのは建前で本音はホームシックにかかっていたからだ。
 日数は決めていないけれど、何日かは泊まってこようと思う。
 ひとまず2日分の洋服をリュックサックに詰めて、冷蔵庫の中の残り物をチェックする。使い切れなかった長ネギは、3センチ幅に切って、冷凍庫へ入れておく。じゃがいもはそのまま冷蔵庫に入れて保存しておいても大丈夫だろう。
 江古田駅から西武池袋線に乗って、終点の池袋駅の改札を出る。それからJR線の改札を通り、池袋から湘南新宿ラインに乗ると、段々と高い建物が減っていく。見慣れた景色が増えてきて、実家に帰るのだという実感が湧いて、わくわくしてきた。
 横浜で、根岸線に乗り換えて山手で降りると懐かしい景色が飛び込んできた。
 久しぶりに我が家の玄関を開けると懐かしい匂いがした。新築では出せない、少しかび臭いような木の匂い。学校や仕事が終わって帰ってくる時、この匂いがすると途端に緊張の糸がほどけるような気がしていた。
 母は、久しぶりに帰ってくる私の為に、好物の天ぷらを揚げてくれていた。レンコンに椎茸、なすにしそ、余った天ぷら粉で干しエビと玉ねぎ、にんじんのかき揚げを作ってくれた。一本丸ごとのちくわの天ぷらも私の大好物だ。
 それを、そうめんと一緒に食べると、父の顔が思い出された。
 かつおだしと酒、みりん、醤油で作った母特製のめんつゆは、いつも味が薄いと言って醤油を足していた父の横顔。もう二度と見ることはできない。
 私は、少し薄めのめんつゆでそうめんをすすり、てんぷらは塩をつけて食べるのが好みだ。
 「江古田はどう?暮らしやすい?」
と尋ねる母に、
「うん、結構楽しい街だと思う。」
と答えた。
 それに、好きな人も出来たし、と心の中で付け加えた。
「お母さん、孫の顔って見たいと思う?」
私の急な問いかけに、母はそうめんを食べる手を止めて、
「まぁ、驚いた。急に何を言うのかと思ったら。そうねぇ。まぁ、孫がいたらいいかもしれないねぇ。でも、そればっかりは欲しいと思ってもらえるものでもないからねぇ。」
と曖昧に答えたのは、私への気遣いだと思う。
母は、「相手がいるの?」とは聞かなかった。きっと女同士、顔を見ればわかるのだろう。それが実っている恋なのか、一方通行の想いなのか。
 午後は、元町へ買い物に出かけた。この街は、いつまでも取り残されたかのように変わらない。父が好きだったクリームパンを買って、中華街まで足を伸ばし、茉莉花茶と凍頂烏龍茶、粉末のシナモンを買い求めた。
 母には、ゴマ団子をお土産に買った。
 駅へと続く道のガード下に露店の八百屋が出ており、とげが鋭いきゅうりを見つけて、5本買い求めた。
 
 帰宅すると、母は庭の草むしりをしていた。
「ただいま。」
「あら、お帰り。早かったのね。もう草がすごくって。お父さんがいなくなってから、なんだか草が伸びるスピードが早くなったみたい。」
「そんなわけないでしょう。」
と私は言って笑った。それだけ、父がこまめに草むしりをしていたということだ。母にはそれがわかっていたけれど、そう考えたくはなかったのかもしれない。
 
 夕飯は、母が作ったこんにゃくとさつま揚げの煮物にあさりの炊き込みご飯、私が作ったバーニャカウダのソースをきゅうりにつけて食べた。
 母はきゅうりを食べながら、
「これ美味しいわね。どこで覚えたの?」と尋ねてくれた。
「昔、元町のイタリアンレストランで食べたのを再現してみたの。混ぜるだけだから簡単だよ。」
 美味しい生野菜には、このソースが合う。アンチョビペーストに牛乳、すりおろしにんにく、塩コショウ、オリーブ油、チーズをレンジにかけて混ぜるだけだ。
 そうだ、江古田に戻ったら、ベランダで野菜を育ててみようと思った。
 結局、横浜にいてもすることがないので、一泊二日で江古田のグランコーポKに戻ってきた。
 帰宅して荷物をおろすとすぐにでも練馬園芸に行きたくなった。頭の中は、家庭菜園のことでいっぱいだ。
 気持ちが急いて、バスで行くことにした。到着すると、店内を通り抜けて、屋外の家庭菜園コーナーへ向かった。
 今日は、加藤匠はいないようだ。配達にでも行っているのだろうか、それもと休日なのかもしれない。
 プランターは大きすぎては持ち帰れない。土も買って帰る必要があるから、まずは両手で抱えられる大きさのプランターを一つ、野菜用の培養土、プチトマトときゅうり、バジルの苗を買い求めた。
 ビニール袋に入れてもらったが、店を出ると結構重いことに気が付き、タクシーを拾って帰ることにした。
 いつもはよく見かけるタクシーが、待っているとなかなか通らない。
 すると、一台の軽トラックが反対車線に停止した。運転席の側面に練馬園芸のロゴが印刷がされている。
 「こんにちは。」
大きく手を振る大きな男は、久しぶりに見た加藤匠だった。
 会釈をすると、手招きをされたので、車が途切れるのを待って、反対車線側に渡った。
 「乗ってください。送ります。」
と言われて、助手席のドアが開いた。
「でも、お仕事中に申し訳ないです。タクシーを拾って帰りますから。」と言うと、
「タクシーだと思ってもらって構わないです。どうせ、暇ですから。」
と白い歯を見せて笑った。たれ目が余計下がって、子犬のようだった。
「すみません。それじゃあ。」と助手席に乗り込むと、「家庭菜園ですか?」と聞かれた。
「えぇ、自分で作ったら美味しいかと思って。」
「それは美味しいですよ。僕も育てているんです。キュウリとなす。」
「そうなんですか?ベランダで?」
「最初はベランダで育てていたのですが、プランターだとあんまり大きくならなくて、農地を借りています。すぐ近所ですよ。ほら、角に運送会社の社宅があるでしょう。あそこを右に曲がって古い二階建ての家があるのはわかりますか?」
「えぇ、何となく。」
「あそこの横で小さいけれど、畑を貸し出しているのです。僕が行けない時は、水をやったり肥料を与えたりしてくれているのですよ。最初は、あそこの人が趣味で野菜を育てる為に畑にしていたらしいのですが、もう腰が曲がっていて、時々入院することもあるようです。それでも、住宅地として売るのは反対で、レンタル農地を始めたらしいです。今度通りがかることがあったら、覗いてみてください。しっかり僕の名前が書いた札が付いているので。」
と言うと、一瞬こちらを見て笑った。
 つかの間のドライブは10分にも満たなかった。
 マンションの前で「ありがとうございます。」と言って降りようとすると、「運びますよ。」とエンジンを停めてくれた。
「そんな、申し訳ありません。」
「いえいえ、仕事をさぼる口実です。気にしないでください。」とまた笑った。
加藤匠は、大股で階段を上がり、202号室の玄関の前に置くと、「それじゃあ、失礼します。」と言って、足早に階段を降りてきた。
 私が軽トラックの前に立ち尽くしている間の一瞬の出来事だった。
 加藤匠が運転席に乗り込み、角を曲がるまで見送り、大きく会釈をすると、返事をするかのようにハザードランプが点滅した。まるで、デートを終えたばかりの恋人が名残り惜しく愛の挨拶を伝えるかのように。
 すっかりのぼせ上がってしまった私は、その場から動けなくなっていた。下校中の小学生の男の子にじろじろと見つめられて我に返り、階段を上がった。
 さっきまで、加藤匠が握っていた練馬園芸のビニール袋を抱きかかえると、家庭菜園で埋め尽くされていた私の頭の中は、すっかり加藤匠に占領されていたのだった。
 
 緑茶を淹れて、たっぷりの氷を入れたグラスに注いでアイスグリーンティーを半分ほど飲んだ。日差しのせいだけではない、火照った身体を中から冷やすのに、アイスグリーンティーは有効なようだ。ほんのりとした苦みが、忘れかけていた自分自身を我に返らせてくれた。
 
 加藤匠に運んでもらったプランターと培養土をベランダに運ぶ。
 一番下に敷く小石を買うのを忘れていたことに気づく。このままでは、水をやるたびに土が下から少しずつ流れてしまう。
 何かないかと家の中を探して回った。風呂場を覗くと、母が持たせてくれた備長炭が目についた。塩素を除去してくれるから、と言うのだが、最近は炭酸の入浴剤を好んで使っているので、この備長炭は出番がなかった。役目を終えた備長炭に、鉢底石の代わりを担ってもらうことにした。
 鉢底石よりははるかに大きいが、プランターの底に並べて敷くと、土の流出は防げそうだった。
 その上に、練馬園芸で買った培養土を入れていく。途中で、今朝作ったきんぴらに使ったごぼうとニンジンの皮が流しに残っていることを思い出し、肥料代わりに土に埋めた。
 買ってきた培養土を全て入れると、プランターの9分目まで土が入った。それから、プチトマトときゅうりの苗を離して植えた。
 バジルは別で植えた方が良さそうな気がして、プラスチックのポットのまま置いておいた。また今度、練馬園芸に行く口実にもなるし、と自分に言い聞かせた。
 プランターを置いたベランダは、少し明るく見えた。やはり、植物や土があると気分が良い。
 部屋の中のオーガスタも時々葉を拭いてやる。オーガスタの若い葉を指でそっとなぞりながら、さっきまでの加藤匠との会話を思い出していた。
 レンタル農園できゅうりとナスを植えていると言っていた。それで料理をするのだろうか。きゅうりはそのまま食べるとしても、ナスは何らかの手を加えるはずだ。
 加藤匠は家事をするのだろうか。料理は何が好きなのだろうか。もし、加藤匠の部屋に招かれたとして、レンタル農園のナスを使って一緒に料理をするとしたら・・・そんなことを考えているだけで幸せだった。むしろ、それは現実にならず、ただ妄想しているだけの方が幸せなのかもしれないとも思った。
 結婚が破談になった時、もう二度と恋愛などしないと心に決めていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
 201号室の玄関が開く音がした。
「ママ、抱っこして。」
「てっちゃん歩いて。ほら、チョコレート買ってあげるからお買い物に行こう。」
「歩けないよう。ママ、抱っこして。」
「はいはい、ちょっと待ってね。もう、てっちゃんは甘えん坊なんだから。」
「ママー」
幼い声が聞こえた。
 私は、誰かに「ママ」と呼ばれる日は来るのだろうか。この腕に、幼子を抱くことはあるのだろうか。
 また恋愛をして傷つきたくはないけれど、子どもがいる人生を羨ましく思うことがある。
 201号室の母親のように、イライラして幼子のことを叱りつけたくなることがあるのだろうか。それとも私は、一人では生きられない未熟な生物の存在をた愛おしく感じるのだろうか。
 ペットさえ育てたことのない私には、自分のことを常に頼りにしてくる存在というものの想像がつかなかった。
 加藤匠もいつかは結婚するのだろうか。今現在、交際している女性はいるのだろうか。そう言えば、練馬園芸には若い女性が何人かいるようだった。生花コーナーでブーケを束ねていた女性が可愛らしかったことを思い出した。
 
 ぼんやりと眺めていたテレビで、料理番組が始まり、洋風きんぴらごぼうを作っていた。ささがきにしたごぼうとニンジンにベーコンを加えていた。
それを見ていて、私は根菜が食べたくなって、筑前煮を作ることにした。筍とごぼうは多めに入れる。最近は、鶏肉をたっぷり入れるよりも野菜、特に根菜類をたくさん摂りたくなっているから、歳を重ねて食の嗜好が変化していることを実感する。
 すべての具材を入れてあとは煮込むだけという段階で携帯電話が震えた。
 ちちぶ不動産のご主人からだった。
101号室の大学生が、アメリカに一年間留学することになり、7月いっぱいで退室したいという連絡だった。
 退室手続きの書類があるので、時間がある時に来てほしいと言われたが、私には時間が無い時など全くないので、すぐに出かけることにした。
筑前煮は、一旦強火にして落し蓋をしてから蓋をした。煮物は冷めて行く時に味が染みると聞いてから、料理、特に和食は時間をかけて調理することにする。筑前煮は明日の夕食に食べることにして、今夜はまた外食にすることにしよう。
 
 17時過ぎに、ちちぶ不動産へ行くと、ご主人はもう帰り支度を始めていた。営業時間は18時までのはずだが、電話を転送して帰ることもよくあると言う。
 申し訳ない気持ちもあったが、
「どうもどうも。気にしないでください。若宮さんはお客様ですからね。昔はきっちり18時まで開けておいて、のんびり座っていたのだけど、大して忙しくないし、電話も鳴らないからね。これならさっさと家に帰って晩酌を早めても変わらないと思ってね。」
そう言いながら、閉めかけたシャッターを開けて、奥の棚からクリアファイルを取り出した。
 「娘さんになってから、こういう手続きは初めてだね?ここに記入して、印鑑押してくれたらあとはうちでやるから。クリーニングなんかは、今まで通りうちで付き合っている業者で良いのだよね?」
「えぇ、是非お願いします。」
「それでね、あのおとなしい学生さんならそんなに汚していないと思うけど、敷金で足りない分の請求もこっちでやるからね。余ったら返すから安心して頂戴。」
「すみません、何から何まで。」
「いやぁ、それがうちの仕事だから。」
「いろいろとありがとうございます。」
父からマンション経営を引き継いだと言っても、生前、向かい合って引き継ぎの話し合いがあったわけではないから、細かいことは父が残した書類を見ながら検討をつけるしかなかった。
 今、ちちぶ不動産のご主人に何かを言われても、頭を縦に振るしかなく、そういうものだと受け入れるしかない。
 「退去はそんなに問題はないのだけどね。あの部屋のユニットバスが結構古いから、今回どうするのかと思ってさ。」
「そうなのですか?」
「まあ、引っ越した後、一度自分の目で見てから考えてよ。お父さんは、ユニットバスを外して、風呂とトイレと別にした方が良いのじゃないかって言っていたのだよ。」
「父が、ですか?」
「そう、お父さん。若宮さんは、結構間取りのことでいろいろ見積もりを取ったり、図面描いたりするのが好きでね。バストイレを別にした分を家賃で回収できるかって言ったら難しいからって、こっちがそのままにしておくように説得したわけ。」
「そんなことがあったのですか。」
私には、図面と向き合う父が想像つかなかった。
 「ほら、あそこは1階だし奥でしょう。風通しも悪いし、安いければ良いっていう地方から来る男子学生向きでしょう?住んだって数年だから、あんまり居心地の良さは求めてないんじゃないかってね。それよりも、家賃が安い方が魅力的だよって。流し台もきれいにしたいって言っていたのだけどね。この辺の学生は大体飲食店でアルバイトをしてそこで夕食を済ませる子がほとんどなのだよ。居酒屋もファーストフードもたくさんあるでしょう。だから、キッチンにこだわる学生は、最初からそういう部屋を探すよって、私がお父さんに言ったんだよ。そうしたら、あんまり納得していなかったみたいだけど、その通りにしますって。今考えてみたら、お父さんは自分が考えた間取りで部屋を作ってみたかったんだろうね。申し訳なかったと思うよ。」
「いえ、そんなことありません。父にアドバイスをして頂いて、ありがとうございます。」
「マンションのローンが完済して、あとはお金が入ってくるばっかりだから、ちょっといろいろやってみたくなったんだと思うよ。外壁はやったんだよ。きれいでしょう?あれで、300万円かかっているからね。」
「結構な金額がかかるのですね。」
私は、父の残した資料を読んでいたから、金額は知っていたけれど、驚く素振りをした。
「そうは言っても、常識的な金額だよ。3階建てのマンションなんだから。それに、あそこの家賃はえぇっと。」
と、言いながら、ご主人は計算機を叩き始めた。
「一年間で500万円ちかく、家賃収入があるんだから、そこから所得税を引いたって、外壁の塗り直しなんて大したことないよ。」
「そういうものですか?」
「そうだよ。そうそう、確定申告の時に、お父さんの時から頼んでいた税理士さんに会ったでしょう?あの人に聞いてみたら良いよ。税金で持って行かれるなんて馬鹿々々しいからねぇ。節税も兼ねて、リフォーム計画はしっかり立てた方が良いね。」
「わかりました。考えてみます。」
「うん、そうしてよ。それで、101号室の話に戻るけどね。えぇっと7月31日が退去予定日だから、それを過ぎたら一回部屋を見て、リフォームするようなら言ってね。募集は止めておくから。まぁ、夏の暑い時分にこの辺りに引っ越してくる人も少ないだろうから、リフォームするには良い時期だけどね。あんまりお金をかけ過ぎても、それに見合う人が入るかどうかはわからないからほどほどにね。」
「ありがとうございます。」と御礼を言って、ちちぶ不動産を出た時にはもう17時50分になっていた。
 前回と同じ大衆居酒屋に行ってみようかとも思ったけれど、また加藤匠に遭遇してしまったら、食事の味がわからなくなってしまいそうだった。
 今夜は、地中海料理の店に入ることにしよう。ちちぶ不動産から5分ほど歩いた。地中海料理店はまだ、開店したばかりのようで、少し暗い店内には客は一人もいなかった。
 好きな席に座るように促されたので、一番奥の席に座り、メニューを見ると、珍しいものばかりだった。
 ドライトマトとサーモンのマリネ、からすみとバターのパスタ、タコのポモペースト和えを注文した。
 壁に貼ってあったドリンクメニューで洋ナシとコリアンダーのカクテルというものを注文してみた。
 コリアンダーの強い香りの後に、洋ナシの甘さが口に広がり、何とも不思議な味がした。
 店を出る頃には、半分以上の席が埋まり、そのほとんどがカップルということもあり、少し気が滅入った。
 帰りにコンビニに寄って、明日の朝食用のクロワッサンと牛乳、カット野菜を選んで、ついでに夜食のコーヒープリンをかごに入れた。
 金曜日の夜、私にとってはいつもと変わらないのに、世間では少し浮かれた日らしい。夜空を見上げると大きな満月がじっとこちらを見つめているようだった。
 「お父さん。」
そう呟いてみると、我慢していたものが目からこぼれ落ちた。

翌日の土曜日の朝、ベランダの苗に水をやっていると、「ビュンッ」という音がどこからともなくしてきた。
 道路を見下ろすと、誰もいない。近所に公園はないし、今は朝の7時だから、活動を始めるには早い時間だ。
 気にしまいと思うと返って気になってくる。
 玄関を出て、鍵を閉めて階段を降りて行くと、音がどんどん遠のいていく。
 私は、「屋上?」と、小さな声で呟いて、一旦部屋に戻り、屋上の鍵を持ってそろりそろりと階段を上がっていく。音を立てぬよう、忍者のように静かにゆっくりと階段を上がっていくと、心臓がドキドキしてきた。
 
間違いない。屋上からその音は聞こえていた。もうあと7段で屋上につく。
 ビュンッ、ビュンッという音はどんどん近づいてくる。階段をあがりきる前に、そっと覗くと、そこには野球のバットを素振りする男の姿が見えた。
 ビュンッとバットを振った時、男がこちらに気づいた。加藤匠だった。一瞬驚いたが、「おはようございます。」
と言われて、小さな声で「おはようございます。」と返事をした。
 「すみません、屋上に入るのは禁止かなと思ってはいたのですが。」
「鍵、かかっていませんでしたか?」
と尋ねると、
「かかっていますけど、そこに足をかければ跨いで入れるので。」
とアルミのドアを設置している段を指さした。
 「そうでしたか。聞き慣れない音がしたので、何事かと思って覗きにきました。」
「そうですよね。失礼しました。うるさかったですか?」
と言われて、ドア越しに話すのもおかしな気がしたので、持って来た鍵でドアを開けた。
「いえ、うるさくはないですけど、気になって。」
言いながら、自分がパジャマ代わりのティシャツにハーフパンツ、すっぴんという姿であることに気づいた。
「それでは、失礼します。お気をつけて。」
と言うと。
「もう屋上に入らない方が良いですか?大家さんですよね?」
と聞かれた。
「えっ?私が大家って知っていたのですか?」
「はい、お父さんにそっくりですし。」
私は心底驚いた。
私は今まで、大家としてではなく、同じマンションの住人同士として接してきたつもりであったが、加藤匠は私が大家だと知っていて接していたようだ。それで、練馬園芸から車で送ってくれたり、オーガスタや野菜の苗を無料で運んでくれたりしていたのかと思うと合点がいく。
 「実を言うと、屋上は日頃からよく入っていました。ここで夜空を眺めるのが好きなのです。昨日は満月だったでしょう。ビニールシートにバスタオルを敷いて、ぼうっと空を眺めていると、心が休まるのです。」
罪を白状するかのように、申し訳なさそうに話す加藤匠の顔は、とても可愛らしく見えた。
「そうですか。私も昨日は窓から満月を眺めていました。」
本当は、夜眠りに就く前に、窓の施錠を確認した時にちらりと満月が見えただけだが、少しでも加藤匠と共通点を持ちたくて嘘をついた。
「この辺りは自然が少ないから、あんまり空を眺めることもない分、屋上があるのは助かります。僕は田舎の育ちなので、毎日植物に触れあっていると落ち着きます。」
私は黙って頷いた。
私からのお咎め無しと察したようで、
「良かったら座りませんか?と、言っても僕の屋上ではないですが。」
と笑った。
 加藤匠の髪の毛は、日中見るようにきれいにセットこそされていなかったけれど、ふんわりとカールしていた。それに、いつもと変わらぬ笑顔があった。
「私、こんな格好で恥ずかしいです。」
「いえ、そんなこと気にしないでください。」と言われたが、やはり気にしてしまうのが女心。
「やっぱり今日はやめておきます。屋上、これからも使ってもらって構いませんので。足元が滑りやすいので気を付けてください。」
と言って、鍵をかけずに小走りで階段を降り始めた。
上から「どうもありがとうございます。」と声がした。
 部屋に戻ってからも、なんとなく加藤匠の気配を感じていたくて、窓を開け放しておいた。隣家のジャスミンの官能的な香りが、恋心を熱くさせた。
 次の日、朝はあれほど太陽が眩しく光っていたのに、昼前になるとどんよりとした灰色の空に変わった。干していた洗濯物を取り込み、ほつれた枕カバーを縫い直す。
 今日は外出する気になれないので、スコーンを焼いた。小麦粉と砂糖、卵に牛乳があれば簡単に出来る。ブルーベリージャムをつけて、濃いめに淹れたコーヒーと一緒に食べると幸せな気持ちになれた。
 時間がたくさん有り余っている今、料理や菓子を手作りすることで時間を消化している。
 小麦粉というのは万能なもので、少量の塩と水を混ぜて捏ねればうどんになるし、玉子を入れればパスタにもなる。
 天ぷらにも使えるし、グラタンにもお好み焼きにもクッキーにもパンケーキにも変身する。
 時間を持て余している時に、小麦粉を使って料理をすることがよくある。料理が好きで良かったと思う。
 
 それから何日かして、西武池袋線で行ける秩父の温泉に日帰りで出かけてみた。ちちぶ不動産のご主人から、是非一度秩父の和銅鉱泉に行ってみなさいと言われており、それを実行する日がきた。
 と、言うのもちちぶ不動産のご主人が、西武鉄道の株主で無料乗車券を2枚くれたからだ。毎年株主優待でもらっているのだが、今年は一緒に行く友人がおらず、一人で秩父旅行へ行ったのだという。それが何ともつまらなくて、もう一度期限内に行くつもりはないので、良かったら使ってくれと2枚譲り受けたのだった。株主優待で4枚もらうらしい。
 有効期限まで2週間しかなかったので、天気の良い朝に急きょ出発することにした。
 西武池袋線の江古田駅から一旦池袋まで戻り、特急のラビューに乗って1時間20分で西武秩父駅に到着する。それから秩父鉄道で30分かけて和銅黒谷駅に行きタクシーでようやく辿り着いた。湯は透明ですっきりした湯で、期待外れだと思ったが、湯をあがってからも体がぽかぽかと温かく、肌がすべすべしていた。
 元々化粧はあまりしていないが、眉毛を描くのすらもったいないような気がして、何もつけないまま帰ることにした。
 秩父駅の近くで蕎麦を食べ、池袋で一旦下車して書店に寄っていたら、江古田に着いた時には19時近かった。
 夕食は家で食べようと思い、駅前のスーパーに寄ることにした。昼がおろし蕎麦だけで軽めに済ませたので、夜は肉を食べようと決めていた。
 豚バラ肉と野菜に塩コショウを振って焼くだけにしようと思い、肉売り場で肉を選んでいると、
「あれ?こんばんは。」
と声をかけられた。
私が返事をしないうちに、「よく会いますね。」と言われた。
見上げるような背の高さ、加藤匠だった。
「こんばんは。」
と言うと、
「今夜は焼き肉にしようと思って。」と聞いてもいないのに言われた。
「私もです。」
と短く返事をする。
「今日はあんまり小量のパックが売っていないですね。」
「そうなのです。それで私も迷っていて。」
沈黙が流れたのち、
「良かったら、一緒にどうですか?」
と誘われた。
「うち、片付けますので。」
と言われて、
「でも」
と戸惑っていると、
「大丈夫ですよ。僕、何もしませんから。大家さんに何かしたら大問題でしょう。それか、不安だったら友達呼んでもらっても大丈夫ですよ。」
そこまで言われて断るのも悪い気がして、
「それならお邪魔します。」
と返事をした。
「僕は豚カルビとバラ肉、それから海老やイカなんかの魚介類を焼こうと思っているのですが、大家さんはどんなメニューの予定でしたか?」
「私は、豚バラ肉と玉ねぎを買おうと思っていました。あと、ピーマンとナスは家にあるので、それを使おうかと。」
「いいですね。」
「僕が誘ったから、今夜は僕が払います。」
と言われて、
「いえ、そんな。」
と言うと、
「それなら、デザートをお願いします。フルーツとかアイスとか。」
と言われた。
そういうところがとてもスマートだと思った。スーパーの売り場で、それぞれにかごを持ったまま、どちらが支払うかを言い合うのは恰好悪いことだから。
 それならば、その言葉に従った方がスマートだと思った。
「加藤さん、何かお好きなフルーツはありますか?」
と尋ねた。
「僕、フルーツは何でも好きですよ。お任せします。」
と笑顔で言われて、その場に倒れ込みそうなほど私の心はとろけていた。
 カットフルーツと清見ゴールドという柑橘類をかごに入れて、それぞれに会計を済ませた。
 「日中は暑いくらいなのに、夕方は冷えますね。」とか、「自動販売機が明るいから夜道も安心ですね。」とかそういった他愛のない話をして並んで歩いていると、これは夢なのか、それとも温泉に入ってのぼせて夢でも見ているのかとさえ思えた。
 見慣れたマンションの集合ポストでお互いにそれぞれの郵便物を取り、加藤匠の後について階段をあがった。
 2階に上がり切ったところで、
「ちょっと部屋を片付けてから準備していますので、都合が良い時に来てください。」
と言われて、
「それでは15分後くらいに伺います」と言い、頭をぺこりと下げた。そんな私を見て、ほんの少し口角をあげて頷いてくれた。
 部屋に入り、玄関の鏡を見ると、ツヤツヤした頬に化粧っ気のない自分が写っていた。まるで小学生のようにも見えた。
 加藤匠が、私のことを女性として見ていないのだということに少しだけ気づいていた。
ただの大家さん。恋愛対象外。
 家にあった野菜をカットして、皿に載せ、買ったフルーツを持って部屋を出た。鍵を閉めようとして、自分の箸とコップは持って行った方が良い気がしてもう一度部屋に入り、使い慣れた箸と小皿、マグカップを持って再び家を出た。
 と、言っても訪問先はすぐ上の階。10秒で着いてしまった。玄関のチャイムを鳴らすと、すぐに「はい」という声がした。
 元々部屋に何も置かないタイプのようで、観葉植物が3鉢と真ん中にローテーブルがあるだけだった。
 布団は押し入れにしまっているのだろう。衣類も何一つ掛かっていなかった。
 「どうぞ。狭いところですけど。あ、失礼しました。」
「いえいえ。狭いマンションで申し訳ありません。うちも同じ間取りですから。」
と言って二人で笑い合った。
 ホットプレートをコンセントに差して、買ったばかりの肉のパックを並べた。
 加藤匠は手際良く、菜箸で肉や野菜を焼いては、皿に取ってくれる。
 「海老に塩コショウして良いですか?」
と聞かれて、「お願いします。」と答えた。相手の意向をしっかり確認するあたりが律儀だと思った。
 加藤匠の腕まくりした上腕は、血管が浮き上がって、普段から重い物を持ちあげている姿が容易に想像できた。
 「大家さん、チーズは好きですか?」
「はい、好きです。」
と言うと、
「美味しい食べ方があるんですよ。」
と何かを企むように冷蔵庫からカマンベールチーズを取り出した。
 包丁で上部の真ん中の表面だけくり抜いて、アルミホイルに包み、ホットプレートの隅に置いた。
 じんわりとチーズが溶け始めたところで、「ここに野菜とか海老をつけて食べてみてください。」
と促され、塩コショウを振られてオレンジ色に染まった海老をチーズの海に半分ほどつけて口に運んだ。
 とろけたチーズは熱々で、そのまろやかさとコショウの辛味、海老から湧き出るジューシーな汁が舌の上で交わり、なんとも言えぬ旨みを引き出していた。
「すごい。とっても美味しいです。」
と言うと、
「でしょう?」と笑ったその顔は、まだアルコールを飲んでもいないのに酔っ払ってしまうほどの刺激を感じた。
 私は酔ったような自分に甘えて、唐突に、
「加藤さん、女性にモテるでしょう?」
と尋ねてみた。
「いや、全然。」
と間髪入れずに返ってきた。
「そんなことないでしょう。優しいし、かっこいいし、料理も出来るし。」
と私が言うと、
「僕はあんまり興味がなくて。恋愛とか結婚以前に、人そのものに。」
「え?人に興味がない?」
「えぇ。見ての通り、植物は好きなのですけどね。」
そういうと、部屋の隅置かれた観葉植物を指さした。
「この子は、大家さんと一緒のオーガスタ。それから、モンステラにあっちはコンシンネ・ホワイボリーです。あと、洗面所にはアイビーがいます。どの子も可愛いのですよ。」
とまるでペットのように言った。
 「植物は裏切らない。だから好きです。それに、寿命が来る前に、知らせてくれるから。」そう意味ありげに答えた。
「大家さんのところのオーガスタは元気ですか?」
「えぇ、お陰様で。」
「良かった。あんまり育てるのが難しくない子だと思いますけど、たまにいるんですよね、観葉植物が枯れたって文句を言いにくる人が。聞いてみると、一日中部屋を真っ暗にしていたり、水を全然やってなかったりするからびっくりします。」
「そうなのですか。」
私としては、観葉植物の話よりも、恋愛や結婚に興味がない理由の方が気になったが、なかなか踏み込みにくい領域だから、切り出し方が難しい。
言葉が見つからなくて、
「植物、お好きなのですね。」とわかりきったことを言ってみた。
「はい、母が好きで、よく草花の手入れを手伝っていました。」
「そうですか。それでは、練馬園芸に勤めていることをお母様、喜んでいらっしゃるでしょう?」
一瞬間があいた。
「いえ、もういません。僕が幼稚園の頃に亡くなりました。」
「えぇ?そんなに小さな時に。」
「はい。僕が母を殺したようなものです。」
何て恐ろしいことを言うのだろうと、驚いて私が何も言えなかった。
「僕が4歳の頃、母に言ったのです。赤ちゃんが欲しいって。それも毎日のように何回も言ったらしいのです。母は体が小さくて、あまり丈夫ではなくて、僕を産む時もずっと入院していたのですが、4歳の僕にはそんなことわからなくて。」
言いながら、少し涙が目に溜まっているのが見えた。
私は何も言えずにただ、話を聞くしかなかった。
二人とも、箸は止まっていた。
「多分、周りの友達に妹や弟が出来始めていたのでしょうね。子どもって一般的には、2歳差とか3歳差で生まれるでしょう。それで、羨ましかったのだと思います。それが僕の母にとって、どんなに大変なことかわかっていなくて。それで、僕のことを本当に大切に思ってくれていた母が、父と話し合って、父を説得して二人目を妊娠したのです。それで、妊娠7か月で産気づいて、そのまま母もお腹の子も亡くなりました。弟だったらしいです。」
「そんなことがあったのですか。」
と言うのが精一杯だった。
涙を隠すためか、俯く加藤匠に近づいて、背にそっと左手を置いた。
「それからはずっと父と二人の生活でした。僕が中学の頃、一度大きな喧嘩をしたのです。その時に父から言われました。お前が母さんを殺したのだ、と。お前は小さな頃から頑固で育てにくくて、母さんは随分苦労したのだ、って。それで、毎日のように赤ちゃんが欲しいと泣き叫ぶ僕に根負けして、こんなに匠が赤ちゃんを欲しがるのなら、きっと産めるに違いないって。母さんは僕の望みは何でも叶えたいと思ってくれていたのだって。雨の中、一時間も踏み切りで電車を見たり、用事もないのに、一日中バスに乗ったりしていたのだって聞きました。僕は乗り物が好きだったらしいのです。全然覚えていませんが。父は、お前がワガママで育てにくいから、母さんは毎日必死だったと言っていました。」
最後の方は消え入りそうな小さな声だった。
「でも、赤ちゃんを産むって決めたのはご両親でしょう。あなたのせいじゃない。」
「いえ、僕のせいです。」
急に強い口調で加藤匠はそう断言した。
「大家さんは、子どもって、いつも笑顔で可愛いと思いますか?」
そう唐突に聞かれると戸惑ってしまう。私は子どもを育てたことがないから。
「ほら、201号室の奥さんがいつも怒鳴っているでしょう。子どもはいつも泣いている。あの子を見ていると、昔の僕に重ねてしまうのです。」
「上の階まで聞こえますか?」
私はそのことにびっくりした。
「えぇ、この時期はお互いに窓を開けて網戸にしていますからね。」
「あの子、階段なんかで見かけるとニコニコしていますけど、家の中ではよく泣いていますよね。」
「そうです。そういう子なのです。僕もそうだったからよくわかる。いろいろなことに気づきすぎてしまうのです。」
「気づきすぎるって、敏感ということですか?」
「そうですね。HSCという言葉、ご存知ですか?もしくはHSP。」
知能検査か何か?と思ったが、間違ったことを言うのも恥をかくだけなので、「わかりません。」と返事をした。
「ハイパーセンシティブチャイルド、もしくはパーソンって言うのですが、人間の20パーセントくらいはいるそうです。国籍や男女差もなく。障害とか病気ではなくて、生まれ持った特性ってやつです。」
「ハイパーセンシティブ?超敏感ということですか?」
「そうです。残りの80パーセントの人よりも、周りをよく観察していて、敏感に感じ取っているのです。だから一歩外に出ると疲れやすい。それで、201号室の子も幼稚園に行ったり、よそで会う大人には良い子で接している分、家ではそれを発散している。」
「そういうものですか?」
「えぇ、多分。」
「それで、あなたもHSCだった?」
「そうです。正確には子どもの頃はHSCで今は大人だからHSPです。それは治るものではないから一生このまま。うまく付き合っていくしかないのです。無理に社会に合わせようとしてうつ病になったり自殺したりする人はHSPだったなんていうことも多いのではないかと思っています。僕にはサラリーマンは向いていない。母が植物好きだったこともありますが、僕自身、人と付き合うより、植物に触れていたほうが心が安らぐのです。」
「それは私もわかるかもしれません。」
「大家さんはどうはわかりませんが、大家さんのお父さんはおそらくHSPだと思います。すごく気遣いの出来る人でした。清掃もしっかりしてくれていたし、ちょっと困りごとがあるとすぐに全力で対処してくれていました。」
「私の父が?」
「えぇ、そうです。去年、僕の部屋のエアコンが突然壊れたことがあったのです。ちちぶ不動産に連絡したら、翌日の昼にはあなたのお父さんが業者と一緒に来てくれました。ビール券をもって何回も頭を下げてくれましたよ。」
「ビール券を持って?」
「そうです。菓子折りでは趣味が合わないといけないしって言っていました。それで、ビール券ならお茶や水も買えるからって。エアコンがつかないと暑くて眠れなかったでしょう、本当に申し訳なかった、と。その日は平日でした。僕はたまたま休みだったけれど、お父さんは仕事を休んで来てくれたようでした。」
「そうでしたか。」
「エアコンが壊れたのはお父さんのせいではないし、元々結構古かったからきっと寿命なのです。翌日には新しいエアコンがついて、僕としてはラッキーでした。それから、次に会った時も、他に不都合はないですか?もしあったら、ちちぶ不動産を通さずに直接でも良いから連絡してくださいって、連絡先を教えてくれました。ちちぶ不動産が休みの時や夜間でも大丈夫だからって。」
「父らしいです。」
「そうでしょう。でも、それって周りからはありがたがられるけど、本人はすごく辛いのです。気が利きすぎて、気を遣い過ぎて、ふとした時にどっと疲れる。それが僕にはわかるから、お父さんには御礼だけ言って特に連絡はしていませんけど。」
「ありがとうございます。」
と私は父に代わって御礼を述べた。
「いえ、こちらこそ、ただの住人に気遣い頂いて申し訳なかったです。」
「いえいえ」
お互いに恐縮し合っていることに気づいて一緒に笑った。
201号室のてっちゃんと呼ばれる子どもにそういう特性があるとは思わなかった。いつもにこにこしているし、会えばきちんと挨拶もできる。そんな賢い子に、どうしてあんなに怒鳴るのだろうと不思議だったが、家の中では別人なのかもしれなかった。いずれにせよ、子育ての悩みはわかりたくてもわからない。この先、私にもその辛さがわかる日がくるだろうか。
 
 それから二人ともまた箸を動かし始めた。ホットプレートの上の食材はすっかり無くなり、持って来たフルーツを冷蔵庫から出してもらった。
 加藤匠が初めて食べたという清見ゴールドを、
「甘酸っぱくて美味しいですね。」と言ってくれて、まるで自分が褒められたかのように嬉しかった。
 食べ終わって、いつまでも居座るのも迷惑だと思い、「そろそろ帰ります。」と言うと、「はい。」と引き留められることもなくあっさりとした返事が返ってきた。
玄関で、「今日はごちそうさまでした。ありがとうございました。」と頭を下げると、
「こちらこそ、ありがとうございました。それじゃ、お気をつけて。って、気をつけることもないか。」と言うので、また一緒に玄関で笑った。
階段を7段降りて踊り場を数歩歩いてまた7段降りる間に、危険なことは何一つ無さそうだったから。
 静かに玄関を閉めて、10秒もしないうちに自分の部屋の鍵を開けていた。
 こういう生活もいいな、と一人にやけていた。
 昼間、秩父の温泉に入ったことはすっかり過去のことのような気になっていた。
 体も髪も脂の匂いが付いているような気がして、風呂に湯を入れた。
 秩父の温泉に入ってきれいな肌のままで寝るつもりだったが、肉の脂の匂いは落としたい。風呂に粉状のみょうばんを少し入れると湯が柔らかくなる。これは亡くなった父に教えてもらった。今夜はいつもの炭酸入浴剤ではなく、みょうばんを入れたい気分だった。
 湯船に浸かると、そのまま眠りに落ちそうになるくらい、気持ちの良い湯だった。
 
 翌朝、ぐっすり眠ったからか、6時前には目が醒めてしまった。太陽は既に上がっていて、カーテンを開けると気持ちの良い澄んだ風が入ってきた。
 せっかく早起きしたのだから、外でモーニングを食べに行ってみようと思い、ポロシャツにデニムスカートを合わせて、家を出た。
階段を降りると、4人の男たちが煙草を吸っていた。そのうち3人は外国籍らしく褐色の肌をしていた。一人の日本人らしき男性が、102号室からいろいろと道具を出しては「これ持って」と指示を出している。どうやら吉村塗装の社員たちらしい。
 「おはようございます。」と挨拶をすると、「おはようございます」と太い声で答えてくれた。日中は不在のことが多いが、こうやって朝早くに道具を持ち出して仕事に出かけているらしかった。
 時折、50代くらいの女性が出入りしているのを見かけるが、経理の仕事をしているのだろうか。近所に住まいはあるようだが、事務所兼道具置き場として借りていると聞いていた。
 男たちの前を通り過ぎて、一番近いファミリーレストランへ向かった。歩いて7,8分といったところだろうか。がらがらに空いているだろうと予想していたが、意外にも客はいて、会社員らしき者や、年配のカップルがそれぞれに朝食を摂っていた。
 エッグモーニングセットが680円。
パンだけでも、ロールパン、トースト、バゲットの中から選べて、他にライス、シリアル、ホットケーキにも替えられた。卵料理は、スクランブルエッグ、目玉焼き、半熟卵から選べて、生野菜にソーセージ2本がついてくる。 私はバゲットを選んだところ、別添えでエクストラバージンオリーブオイルとバター、ジャムがついてくると言う。
ドリンクバーコーナーの飲み物が飲み放題だから、かなりお得なセットだと言える。
 私は注文をし終えると、ホットコーヒーを取りに行った。コーヒーマシンは、ブレンド、アメリカン、エスプレッソ、カプチーノ、アイスコーヒーのボタンがあった。
 一杯目はブレンドのホットコーヒーにした。今まで、ファミリーではない独り者の私が、独りで来店することにためらいを感じていたが、実際に来てみると、私のことを気にかけている者など一人もいなかった。こんなことならば、もっと頻繁に訪れてみようと思った。
 バゲットは少し焦げ目がついて、カリッとしていた。バターを少しつけてみると、じんわりととろけて、それだけでも贅沢に思えた。    
それから、スクランブルエッグは、ほんのり塩気があり、バターと生クリームを混ぜているようで、濃厚な深い味がした。生野菜にかかっているドレッシングも刻んだ玉ねぎがしっとりとして、ほんのりガーリックの味がして美味しかった。
 最後にアイスエスプレッソを飲んだら、昼食がいらないくらいに腹が膨れた。時計を見るとまだ7時前だった。
 歩いてグランコーポKに戻ると、302号室のカーテンはまだ閉まっていた。今日は、加藤匠は休日だろうか。
 一旦自分の部屋に戻り、屋上の鍵を持ってまた家を出た。屋上に出た途端、心地よい風が流れた。周りは高くても3階建て住宅だから、4階部分に当たる屋上は、風を遮るものがない。まだ半分眠った江古田の街を上から眺めるのは気持ちが良かった。
 背伸びをしたり、身体をひねってストレッチをしたりしていると、ふと、屋上のスペースを利用していないことがもったいないように感じた。 
 太陽の光を遮るものは何もなく、日当たりが良い。植物がよく育ちそうだった。家庭菜園をするのも良さそうだ。そう思って、まずはベランダに置いているプチトマトときゅうり、バジルを屋上に運んだ。屋上の方が断然よく育ちそうだ。
心なしか、プチトマトの葉が喜んでいるようにも見えた。大きくなったら支柱が必要だろう。支柱は、練馬園芸でなくても、100円均一で買えば良さそうだ。
 せっかくだから他の野菜の苗も買ってこようか。もうすぐ夏になろうとしているこの時期は、野菜の苗の植え時のように思う。
 そういうことを相談してみたら、加藤匠は喜んで話し相手になってくれそうだ。下心が全くないと言えば嘘になるが。
 浮かれた気持ちで部屋に戻り、夕食の仕込みを始めた。冷蔵庫にあった残り野菜を片付けるためにポトフを作ことにした。ズッキーニに玉ねぎ、ニンジン、オクラ、ジャガイモをブイヨンで煮て、冷凍庫にあった鶏むね肉をトースターで焼き目をつけて投入したらあとは弱火で放っておくだけだ。ローリエを入れ忘れたことに気づいて、途中で入れて、塩コショウを振る。あとは納豆ごはんでも食べれば十分だろう。一人暮らしは快適だけれど、食材が減らないのが困りものだ。いつか、加藤匠に料理をおすそ分けできるような日が来れば良いなと思ってひとりにやけていた。

9時少し前に、201号室から賑やかな声がした。
耳を澄ませるとリズムにのって、「ゴーゴー」と歌っているようだった。
母親が「バスに乗ってゆられてる」と歌ったあとに、てっちゃんと呼ばれているこどもと母親が一緒に「ゴーゴー」と声を重ねて歌っている。
 これから幼稚園に行くようだった。靴を履いて、玄関を開けてもまだ興奮はさめやらぬようで、歌い続けている。
時々、母親の「ハイハイ」という合いの手まで聞こえる。
 幼子の音程を大きく外した歌はこんなにも可愛らしいのかと、玄関の扉の内側で私が感じていることなど、隣の親子は知る由もない。
「ママも行く?」
「そうだよ。今日はママも一緒だよ。バスに乗って遠足だよ。」
という弾んだ声が階段を降りる足音とともに遠ざかって行った。
 いつもは、子どもの泣き声とヒステリーな母親の声ばかりが耳についたが、本当は穏やかな生活を送っているのかもしれなかった。
 
私が今すぐ結婚して、妊娠したとしても、出産する頃には40歳を過ぎている。子どもが幼稚園に通う頃には43歳になる。あんな風に、子どもと歌を歌いながら歩くことが出来るだろうか。
隣の母親は、美しい身なりをしている日もあるが、平日は特に疲れ切ったような姿を目にすることがある。一度、21時過ぎに、明らかに部屋着だと思われるヨレヨレのティシャツにスウェットパンツという姿でコンビニのデザートを眺めている様子を目の当たりにして、思わず目を伏せてしまった。子どもが寝た後に、気分転換にでも外出したのだろうか。育児ノイローゼになると、美しい女性もあんな姿になってしまうのかと愕然とした覚えがある。
私も、育児ノイローゼになるのだろうか、と勝手に不安になっていた。そもそも、私には結婚するあては無かった。
グランコーポKの家賃収入があれば、結婚相手に経済的に依存しなくても子ども一人くらいなら育てられそうだ。いっそ、結婚せずに子どもだけ産んで育てるのも良いかもしれないと思った。
 
得意の妄想にも飽きて、部屋の掃除をして過ごした。昼になり、ポトフに合うパンを買いに行こうと思い立ち、財布と携帯だけをポケットに入れて家を出た。
私はバッグを持ち歩くのが好きではなく、近場ならポケットに必要な物を入れて出かける。片道一時間くらいなら、それで十分だ。ファンデーションを塗っていないので、化粧直しの必要もない。グロス1本忍ばせておけば何とかなる。そんな私を見て、母は「男の子みたいね」と言った。
他人に何と思われようとも、自分が快適なのが一番大切だ。
線路を渡り、駅周辺の賑わいが途切れてきたところでお目当てのパン屋が見つかった。ハード系の固いパンが主流のこの店では夕方になると売り切れてしまうことが多い。
バゲットを一本買って、適当な大きさにカットしてもらう。他のパン屋よりも少し高いが、皮がパリッと固くて、中はふんわりしているこの店のパンは遠くから買いに来る客もいるようだった。
パン屋を出てから、少しブラブラしてみようと通ったことのない路地を入ってみた。
 看板の無い古ぼけた引き戸の横のショーケースに、皿やカップが並んでいる店を見つけた。骨董屋だろうか。おそるおそる入ってみると意外にも40代くらいの女性がパソコンとにらめっこしていた。
「いらっしゃいませ。」
「こんにちは。」
「どうぞごゆっくりご覧ください。」
そう言われてゆっくりと店内を見て回った。一つ一つに値札がついており、価格はコーヒーカップが1800円、豆皿が1200円と、それほど高くもない設定がされていた。
「こちらは、手作りですか?」
と何気なく尋ねてみた。
「そうです。主人が、群馬県の工房で修行をしていまして、それをこちらで販売しています。インターネット販売が主なので、こちらはほとんどお客さんが来ないのですが。」
と笑う女性は、色白で可愛らしかった。
「良かったらホームページをご覧ください。携帯でも見られますので。」と名刺を渡してくれた。
 店の一番奥に並んだ、藍色の湯のみに目が留まった。手に取ってみるとすっぽりと馴染み、ころんと丸い形はちょうど私の片手に収まった。
「そちらは、藍色の釉薬にローズピンクや黒、オレンジを混ぜていて、角度によって見え方が異なるのです。なかなか納得のいく色が出ないと言って、一時期はそればかり作っていました。それで、インターネットで価格をお安くして売り出したらすぐり売り切れてしまいました。そちらが最後の2点なのです。」
それを聞いて買わずにはいられない衝動に駆られた。
「これ2つ頂きます。」
そう言うと、女性はにっこりと笑って「ありがとうございます。」と湯のみを2つ受け取った。
2つで2400円。湯のみは100円均一でも買えるが、そろそろ良い物を揃えたい。
2つ買ったのは、何となく将来のことを見据えていたように思う。
いつか誰かと向かい合ってお茶を飲むその日が来るような気がしていた。
 
太陽が高く昇り、ギラギラとした日差しが地面を焼く火曜日の朝。前から気になっていた、階段の掃除をすることにした。
どこかから飛んできた枯れ葉や、小さなごみをほうきで集めてみると、ちりとりがいっぱいになった。
ホースは、父が買ったものが階段の下にあるからそれを使って水を流す。
1階の共用部分にも水道はあるが、蛇口を外してあるので、使えない。仕方がないので、私は202号室の玄関を開け放し、流し台から水をとることにした。
その方が、3階から水を流すのにちょうど良かった。父は、1階から3階までホースを伸ばし使っていたのだろうか。
ホースを伸ばしてみると、屋上まで十分な長さがあったので、伸ばせるだけ伸ばして、屋上のフェンスに布団ばさみで固定した。それから、じぶんの部屋に戻り、水道を目いっぱいひねる。一階の階段下からデッキブラシを取って、再び屋上に戻り、ブラシでこすっていく。塵と黄砂が屋上の隅に溜まっていたので、水を流しながらブラシでこするとあっという間に落ちた。
それから、固定しておいた布団ばさみを外して、カットソーの裾にぶら下げる。
左手でホースを持ち、右手でブラシをこすりながら階段を降りるのは意外と重労働だった。細かい部分はデッキブラシでは届かないので、また自室に戻って使い古した歯ブラシを取りに行く。スニーカーに水がはねて、中まで染みてきた。
ちょうど3階の踊り場に降りたところ、301号室の荻野目康代が玄関を開けて出てきた。
「おはようございます。すみません、足元が滑りやすいのでお気をつけください。」と言うと、「ご苦労様です。」と頭を下げてくれた。
荻野目康代は、医療事務をしていると聞いていたが、今日は休みなのだろうか。小さな巾着を持って、ゆっくりとした足取りで階段を降りて行った。
息子と二人暮らしだというが、普段は物音を聞いたこともないくらい静かな生活を送っているようだった。
3階から2階に降りるまでは、一つ踊り場があるが、2階から1階に降りるには一直線だ。水の流れが勢いを増し、上からまんべんなく振り撒くだけで、細かな汚れも落ちて流れた。
1階の共用部分は、隣家との境のブロック下は全く日が当たらない為、苔が生えて緑色になっていた。
力を入れてブラシでこする。水を流しながらこすると取れるが、深い部分までは届かない。段々と腰が痛くなってきて、今日のところはここまでと決めた。
ホースを巻いて片付ける頃には汗だくになっていた。スウィーパーが置いてあったが、この天気なら、自然に乾きそうだった。
自分の部屋に戻り、シャワーで汗を流して、ようやくさっぱりした。頭にタオルを巻きつけて、手作りをしたダブルガーゼのワンピースを着て、冷たい物でも飲もうかと思っていると、玄関のチャイムが鳴った。
インターホンには、加藤匠の横顔が写っていた。一瞬胸が高鳴ったが、自分の恰好を眺めて、どうしたものかと考えた。緊急事態かもしれないので、大家としては返答せねばならないと判断し、インターホンの通話ボタンを押す。
「はい。どうかされましたか?」自分でもおかしな言い出し方だとは思ったが、相手は自分を「大家」として尋ねていると思ったから、それが正しいような気がした。
「あの、掃除お疲れ様でした。ケーキを買ってきたので置いておきます。良かったら召し上がってください。」と言うではないか。
「ケーキですか?少しお待ちください。」
そう言って、玄関を少しだけ開けた。
「シャワーを浴びたところで、こんな恰好ですみません。」と言うと、加藤匠の顔が一瞬で赤く染まり、俯いて「すみませんでした。掃除している音がしたので、買い物のついでにケーキ屋で買ってきました。これ、良かったら。」と言って、玄関のドアの隙間からビニール袋を差し出した。
私は、そのビニール袋がぎりぎり通るくらいに玄関のドアを開けて受け取ると、驚きと感動でその場に座り込んでしまった。
私が掃除をしていたのは、1時間弱くらいだから、その音を聞いてわざわざ買ってきてくれたというのか。それは、新江古田駅の近くにある、チョコレートケーキが有名な店のものだった。
江古田駅周辺には、ケーキ屋や和菓子店がいくつかあるが、その中でも、グランコーポKからは一番離れているケーキ屋のものだった。
玄関の鍵を閉めて、電子レンジに写る自分の姿は、風呂上りそのもので、少し卑猥にも見えた。急に恥ずかしくなり、こんなことならインターホン越しに会話をすれば良かったと思ったがあとの祭りだった。
ビニール袋から箱を取り出し、ケーキの箱を開けてみると、苺とカスタードクリームをふんだんに使ったミルフィーユ、ドーム型のチョコレートケーキが対角線に入っており、間を保冷材で仕切られていた。
食べるのがもったいないような気がして、そのまま冷蔵庫に入れ、代わりに麦茶を一杯飲み干した。
加藤匠にとって、わたしはただの大家さんなのだろうか、それとも一人の女性なのだろうか。恋愛や結婚には興味が無いと聞いていた。ただの大家さんに、掃除の御礼としてケーキを買ってきてくれたり、重い園芸用品を運んでくれたりするだろうか。
私はからかわれているのだろうか。それとも、きっかけさえあれば、恋愛対象になりうるのだろうか。考えながらドライヤーをかけていると、また汗が噴き出してきた。
今、自分の真上の部屋に加藤匠がいると思うと何だか恥ずかしいような気がして、外出することにした。
私は幼い頃から星を見るのが好きで、そうは言っても都会ではなかなか星が見えないから、プラネタリウムへ行くのが趣味の一つである。
江古田駅から西武池袋線の各駅停車に乗って、終点池袋まで行く。そこから歩いて10分、サンシャインシティに着いたらそこからまた5分ほど建物内を歩く。エレベーターは満員で乗れないことがあるので、エスカレーターで9階まで行き階段の上がると、そこはもう別世界。
水族館と隣合わせになっているので、水の流れる音が耳に心地よい。
入場券を払ってプラネタリウムに入ると、少し涼しく静かな夜が待っていた。
季節ごとに内容は異なり、ナレーターは毎回違う。有名な俳優であったり、声優であったりするが、いずれもすうっと耳に溶け込む優しい声だ。
ヒーリングミュージックも心に染み入る。流れていく丸い空は、自分という人間が宇宙の産物であることを実感させてくれる。
全ての雑念が取り払われ、眠りに落ちる瀬戸際のところでぼんやりとしているのが何とも心地よい。
普段の私は、いろいろなことを考えすぎていると思う。観察力も鋭いし、聴力も、嗅覚も優れている方だと思う。それ故に、疲れてしまうことも多い。
そういえば、以前、加藤匠がHSPという言葉を教えてくれた。もしかしたら私もそれに当てはまるのかもしれなかった。
40分間の上映が終わり、少しずつ明るくなってきた。眠っていたのか起きていたのか、自分でもわからないくらいのまどろみは、私の心と頭を浄化してくれていた。
再び、階段とエレベーターを使って地下一階まで降りて、サンシャインシティを後にした。
このまま帰るのも早すぎるような気がして、西武百貨店の地下で寿司とサラダを買って、エレベーターで屋上へ移動した。 
13時を過ぎていたから、会社員の姿はまばらで、子どもを連れた主婦が何組かと、20代と思しきカップルがいただけで、あとはがらんとしていた。普段はもっと賑わっているのだろうが、午後から雨の予報だからか、テーブルはいくつも空いていた。
芝生の目の前の丸いテーブルに買ってきた寿司とサラダを置き、自動販売機でジャスミン茶を買った。
一人で過ごす毎日にも慣れたが、誰とも話さない日があるのは少し寂しい気もする。
帰ったら、加藤匠にもらったケーキを食べよう。御礼にコーヒー豆でも買って帰ろうか。それとも紅茶の方が良いかな。もし、好みが違ったら悪いような気もする。今日渡しに行ったら、加藤匠に気を遣わせてしまうだろうか。郵便受けに入れておいた方が良いかもしれない。
そこまで考えて、自分の考えすぎる癖を独りで笑った。
結局、ドリップバックになったコーヒー5種セットを2つ買って帰った。ちょうど1000円。ケーキのお返しに差し上げるのには妥当な金額だろう。
江古田駅に到着すると、ちょうど雨が降り出した。黒い雲はどんどんと私に迫ってきていた。
小走りでマンションに着き、郵便ポストを開けると一通のはがきが入っていた。差出人はいちのき企画となっている。心当たりはない。宛名は確かに私の名前だ。階段を上がりながら文面を読んでみると、「マンションのオーナー様へ お持ちの物件についてご相談がございます。是非一度下記までご連絡ください。」とのことだった。
ご相談?リフォームの勧誘だろうか。どうして私がマンションのオーナーだとわかったのだろう?私はこの会社を知らないというのに。気味が悪くなり、部屋に戻ると早速、ちちぶ不動産へ電話をした。
「はいどうも。」といういつもの挨拶の後に、はがきのことを話してみた。
「ああ、それかい?それは、要するにマンションを売ってくれっていうことだよ。興味が無かったら電話なんてかけない方が良いね。」
「でも、どうして私のことを知っているのでしょう?何だか怖くって。」
一番気になっている疑問を投げかけてみると、電話口の向こうで大笑いがした。
「そんなものは簡単だよ。法務局へ行って、登記事項証明書をもらうか、インターネットでも調べられる。」
「えぇ、インターネットで?」
「そうだよ。だから、無作為にはがきを出している場合がほとんどだね。とは言っても、築年数やら立地は調べてから送っていると思うけど。この辺りは、学生さんも多いし、都心も近いから、投資物件には人気なのだよ。」
「そうですか。」
「そうだよ。だから、あなたのお父さんは目が利くってこと。そうは言っても、借金を完済して、これから家賃収入で儲けられるっていう時に亡くなってしまったけどね。あの世にはお金をいらないからね。本当に残念なことだよね。良い人だったのに。」
「そうですね。本当に。」
「でも、娘さんが相続してきちんと守っているから、あの世で喜んでいるのじゃないかね。」
「ありがとうございます。」
父を褒められている以上、御礼を言うのが正しいような気がした。
「だから、そんなはがきは破って捨ててしまいなさい。どうせまた送ってくると思うけど。」
「わかりました。そうします。お忙しいところ、つまらないことでご連絡してどうもすみません。ありがとうございました。」
そう言って、電話を切ろうとすると、
「そうそう、あのさ、101号室の学生さんが出ていくでしょう?その後に入りたいっていう人がいるのだけど、時間がある時にでも寄ってくれないかな?」
「わかりました。明日伺います。どんな方ですか?」
「それがちょっと訳ありでさ。電話じゃあれだから、また明日説明するよ。学生さんが出て行って、クリーニングをしてからだから、あと1か月はあるしね。嫌だったら断ってもらって構わないから。それじゃあ、明日よろしくお願いしますね。待っていますよ。どうもどうも。」
と言って、一方的に電話が切れた。
嫌だったら断っても良いというのはどういうことだろうか。気になってしまい、すぐにでもちちぶ不動産へ行きたくなったが、明日と言ってしまったし、それに外は大雨だ。
濡れた髪をタオルで拭きながら、テレビをつけた。芸能人の不倫について、何人もの大人たちが議論していた。他人のことなど放っておけば良いのに、と思いながら、つけたばかりのテレビを消して窓を開けた。ベランダの屋根があるから、雨が吹き込んでくることはない。
買った時よりも数センチ伸びたバジルの葉っぱをつついてみる。半分は屋上に移動したが、一株だけベランダに残してある。そうだ、ジャガイモとベーコンでバジルスパゲティにしようと思った。バジルの葉を大きい方から摘んでいく。  
ミキサーが無いから、包丁で細かく切り、ジャガイモをレンジで柔らかくしておく。ベーコンを細く切り、ニンニクと一緒に炒めて、ジャガイモ、牛乳を入れて塩コショウを振っておく。一旦煮立たせてから火を止める。こうしておくと、ジャガイモに味が染み、ベーコンの脂と馴染んで美味しくなる。
あとは食べる時にスパゲティを茹でて、バジルを加えたら完成だ。
牛乳をしまおうとして、冷蔵庫の中に鎮座するケーキの箱が目について取り出した。午前中にもらった時には気づかなかったが、チョコレートケーキには小さなハート型のプレートが乗っていた。これは愛の告白なのか?
買ってきたコーヒーを早く渡してしまいたくて、「今朝の御礼です。大家より」とメモを付けて302号室の玄関のドアノブにぶら下げた。もしかしたら、中にいるのかも知れなかったが、インターホンを押す勇気は無かった。
部屋に戻って、自分用に買った同じコーヒーを淹れることにした。グアテマラ、ブルーマウンテン、モカ、キリマンジャロ、マンデリンの5種類のコーヒーがドリップパックになっている。一番なじみのあるモカを飲んでみることにした。少し酸味があり、フルーツ
のような甘い香りがする。お湯を少な目にして、ゆっくりと淹れたコーヒーは濃く、チョコレートケーキによく合う。
 ミルフィーユは明日の楽しみにとっておくことにしよう。加藤匠からもらったものは大切にしたい。
 翌日、雨は上がっていたが雲は厚く、いつまた雨が降り出すかわかならいような空だった。傘を持って、11時頃、ちちぶ不動産へ出向いた。今日も和菓子を手土産に持って行くことにした。カステラ風の生地で求肥とあんこを包んだ若鮎を5つ包んでもらう。
 ちちぶ不動産の玄関を開けると、主人は電話中であった。こちらに気づくと右手を上げて頭を下げたので、こちらも頭を下げた。ソファに座るように手で示してくれたので、その通りにする。
 電話が終わると、「どうもどうも。すみませんね、ご足労をかけましたね。」
「こんにちは。これ、良かったら召し上がってください。」と菓子折りを渡すと、「いつも悪いねぇ。」と言って受け取った。
 「101号室の入居希望の方っていうのは」
「そうそう、それなのだけどね。いや、うちも無理にって言うわけではないのだけどさ。部屋を借りられなくて困っているお客さんがいてね。グランコーポKならどうかなって思ってね。
「借りられないって言うのは、どういうわけですか?」
「別に悪い人っていうことじゃないの。ただね、身体の方がちょっといろいろきかなくってね。はっきり言ってしまうと、車いすわで移動しているわけ。」
「車いす?」
「そう。車いす。」
「それだけの理由で、部屋を借りられないのですか?」
「そう。本人は良い人だよ。身元もしっかりしているし。ただ、車いすっていうと、いろいろ制約があるでしょう。元々はさ、歩けていたらしいのだよ。会社員で、普通に生活していた人。それがさ、交通事故に遭って、脊髄がやられちゃてさ、車いすになったっていうわけ。この辺で一人暮らしをしていたのだけどね、事故に遭ってからは実家に戻っていたらしいよ。」
「ご実家はどちらですか?」
「八王子の方だって。それで、仕事は長いこと休んでいたらしいのだけど、勤め先がさ、新宿なの。で、元の職場に復帰することになったのだけど、八王子から車いすで通うのは遠いし、江古田が住みやすくて気に入っている街だからまたこの辺りで一人暮らしをしたいってことでさ。」
 珍しく、歯切れの悪い話し方をする。
「どうして車いすでは部屋を借りられないのですか?」
「はっきり言っちゃうとね、傷。傷がつきやすいの。床はもちろん、ドアや壁なんかもね。それで、退去する時には張り替えは必須なのね。グランコーポKはさ、前に学生さんが出た後、リフォームの話をしていたじゃない?だから、いっそのこと、今回はクリーニングだけにしてさ、その車いすの人に貸してあげてくれないかな?本人は、これから歩行器っていうの?そうそう、ちょっと待ってね。」
 そういうと主人は、事務机の引き出しを開けた。
「これ、松野さん。あ、松野さんってその車いすの人ね。30代前半かな。彼女さんと一緒に来てね、これを置いて行ったの。ほら。」
そう言って、主人が差し出した紙は、福祉用具カタログらしきものをコピーしたものであった。
 いくつかのに丸がしてあり、四点歩行器、ウォーカーと書いてあった。
 「今、これのリハビリをしているんだってさ。それで、玄関を入って、たたきに車いすを置いて、屋内ではこの歩行器っていう福祉用具で移動できるようにしますって言うんだ。でも、見たところ65キロくらいかな?これがさ、柔らかいフローリングマットだと、この点の跡がつくかもしれないっていうの。」
 なるほど、これでは大家が嫌がるのも納得できる。通常、フローリングも壁紙もよほど傷んでない限りは、退去の度に替えることはない。けれども、床にいくつもの点がついていては、張り替えは必須だ。
 「松野さんという方に、市販のマットを敷いてもらうわけにはいかないのですか?」
「うん、そう思うようね。でも、そうしちゃうと今度は本人が異動する時に転倒しやすくなるって言うんだ。本人はさ、もらい事故で身体をやられちゃって相当参っているらしい。それで、何としても元の身体に戻って見せるって意欲はすごくあってね。車いすなしで生活できるようになったら結婚するんだって言ってたよ。だからいつまでも実家にいるわけにはいかないってね。」
「そうですか。すごく意志が強い方なのですね。」
「そうみたいだね。昔は野球部で剛速球を投げていたんだってさ。将来は、草野球の監督をやるのが夢だって言っていたね。」
「そうですか。」
「通勤はさ、ほらその大通りからバスが出ているだろう。新宿行きの。それで職場の近くまで一本で行けるらしい。電車より時間はかかるけど楽だからね。」
「それで、松野さんはいつから入居希望なのですか?」
「いや、それはいつでも良いらしい。そもそも、部屋が見つからないんじゃあ、わがままも言っていられないしね。学生さんが7月末日に出るでしょう?それからすぐクリーニングをして8月のお盆休みにでも入れたら助かるのだけど。どうかね。ちょっと考えてくれないかね?」
「素性ははっきりしているのですよね?」
「それはもちろん。個人情報がどうのこうのって厳しい時代だけど、ここだけの話、桃澤出版のホープ。」
「えぇ?」
私は驚いた。児童書から文芸書、専門図書と幅広く扱っている大手の出版社の名前に驚いた。
 「松野さんが発掘したジムトレーナーの書いたダイエット本が大ヒットしたらしい。第二弾を出そうとしていた矢先に、交通事故に巻き込まれちゃったんだってさ。それで先延ばしになっていたダイエット本の第二弾に取り掛かっていると聞いたよ。だから、家賃の面では滞納の心配なんかはないよ。」
「そんなに立派な人なら、もっと良いマンションがあるんじゃないですか?」
 
「私だってそう言ったのだよ。職場の近くに住んだ方が良いんじゃないかって。夜も遅いみたいだし。でも、やっぱり家賃が高いでしょう。それにほら、結婚に向けて貯金したいっていうのとは別にさ、江古田にこだわりがあるらしいんだ。親元離れてから、ずっとこの辺りに住んでいるんだって。どうやらこの先の大学出身らしい。」
「わかりました。松野さんとの話、進めてもらって良いです。」
「本当かね。やっぱり若宮さんの娘さんだ。若宮さんなら同じことを言ってくれたはずだよ。ありがとう。早速連絡してみるよ。喜ぶだろうなぁ。」
 ちちぶ不動産からの帰り道、父だったら同じことをしていただろうと言われて、自分の決断は正しかったと思えた。
それでも、一度にたくさんの情報を与えられたことで、頭の中でパニックを起こしていた。
それは昔からのことで、自分の処理能力以上の情報が一度に振ってくると混乱し、わぁっと叫びたくなってしまう。もちろんそんなことは出来ないから、そういう時は熱い風呂に入ったり、料理に没頭したりと違うストレスを与えるのが一番だ。それでも今日は銭湯に行く気分でも料理をする気分にもなれなかった。
 トイレットペーパーが少なくなっていることを思い出し、ドラッグストアへ寄ることにしていつもはまっすぐ行く道を左に曲がると、「新規オープン!マッサージ30分から。すぐご案内できます。」という手書きの看板が目に入った。
 「マッサージかぁ」と小さく呟き、思い切って入ってみることにした。
 「いらっしゃいませ」という優しい声と共に、同世代と思われる女性が迎えてくれた。
 「あの、初めてなのですけど。」と言うと、「ありがとうございます。どうぞこちらへお座りください。」とソファへと案内してくれた。
 行ったことはないけれど、バリ島をイメージしていることはすぐにわかった。ラタンのソファに茶色のカーテン、大きな葉の観葉植物にアジアンテイストの音楽、どことなくオリエンタルな香りがした。
 「本日はどのコースになさいますか?」
と言われて、メニュー表を見せられた。
「初めてですと、服の上からのマッサージでコリ取りコース30分2980円、もしくは服を脱いで頂きまして、アロマミニコース30分3980円がございます。」
と言われた。
 服を脱ぐことには抵抗があったが、「アロマオイルが選べます」というコメントにつられて、アロマミニコースを注文した。
 「オイルはお選び頂けます。香りのお好みはございますか?」と尋ねられて、「あまり詳しくないので何が良いかわかりません。」と返答するしかなかった。
 「かしこましました。それでしたら、こちらを嗅いでみて、お好きなものがあれば仰ってください。」といくつかの小瓶を渡された。
 「まずはこちら、ラベンダーです。それから、ペパーミント、ローズマリー、ゼラニウム」と次から次へと小瓶の蓋を開けて渡してくれる。その中から、ラベンダーを選んだ。
 「では、本日は、ラベンダーを中心にスィートオレンジ、少しだけユーカリを混ぜてお作り致します。」と言われたので「お願いします。」と返した。
 「オイルは混ぜて使うのですか?」と興味本位で聞いてみると、「そうです。お客様の気分やお好みでいくつもの香りが生み出せます。好きな香りでマッサージするとリラックス効果が高まりますよ。」と美しい笑みを浮かべた。少し褐色の肌は日焼けだろうか、元からのものなのだろうか。まるで南国の少女のようにも見えた。
おそらく、30代後半だろうが、笑うと幼く見えるその女性は、こちらを包み込むようなオーラを持っているようにも見えた。 
 言われるがままに、身に着けている服を全て脱ぎ、紙ショーツを履いてベッドにうつぶせになった。
 「それでは始めます。よろしくお願いします。」と言って、アロマオイルをもみ込むその手はじんわりと温かかった。背中を中心に首から背中、足までマッサージされているうちに先ほどまでの混乱はどこかへ消えていた。
 事実としてあるのは、101号室に新しく入居する人が車いすを利用している。ただそれだけのことだった。
 マッサージを延長したい気持ちもあったが、予約が入っているかもしれないし、30分のコースの段取りで進んでいると思うと、申し出られなかった。
 天にも昇るような心地よい時間はあっという間に過ぎ、温かいタオルで全身のオイルを拭き取ってもらったらさっぱりとした気分になった。
 服を着てカーテンを開けると、ソファの前のミニテーブルにはハーブティーが置かれていた。
 「どうぞ、ごゆっくり召し上がってください。」言われて一口含んでみると、爽やかな香りが広がった。
 「レモングラスというハーブのお茶です。このお茶もお客様の雰囲気に合わせて何種類かを用意してあります。」とのことだった。
 初めて飲んだそのハーブティーは、まさに自分の好みの通りだった。
 会計を済ませて店を出ると、生まれ変わったような気分になれた。凝り固まった頭と体はすっかりほぐれているのがわかった。
 グランコーポKに戻ると、ちょうど101号室の部屋から学生が出てきた。もう夏休みに入ったのだろうか。「こんにちは」と挨拶をしてすれ違った。私が大家だとは知らないのだろう。
 まだ20代前半の彼が、これから海外留学をするという。明るい未来が待っているような気がして、まるで母親のような気持ちで彼の成長を願った。
 
 その翌日、スーパーから帰ってきて、改めて車いす利用者が利用できるかどうかについて考えてみた。
 まず、グランコーポKには道路との境に段差がある。向かいのマンションは、自転車に乗る住人が多いようで、駐輪場と道路の間に三角の段差解消スロープが置いてあった。
 あれをグランコーポKに置いたら、車いすでも楽に上がれそうだ。
 それから、郵便受け。今のままでは少し高い。身長158センチの私が立った状態で胸の高さにあるから、車いすでは一旦立ち上がらないとならない。リハビリをしているというから一時的に立ち上がることは出来るだろうが、不便だろう。
 元々郵便受けが古くなっていたから、設置し直しても良いだろう。しかし、それでは他の住人にとって位置が低すぎる。やはり一人の為に他の住人に不便を強いるのは良くないと思った。
 現在は横型の8つ繋がった郵便受けを使っており、一番右端の上下の口の養生テープをふさいで世帯数の6つを使っている。
 インターネットで調べてみると、縦型で6つ口の郵便受けが3万円前後で売られていた。リフォームを依頼している業者に頼めば設置もしてくれるだろう。
 縦型の一番下2つを101号室入居予定の車いす男性と自分で使ってはどうだろう。
 一番上は3階の住人にしよう。背の高い加藤匠にも不便はなさそうだ。真ん中の列は201号室の家族と101号室の吉村塗装に使ってもらえば良い。
 101号室の学生が退去し、クリーニングする時に一緒に郵便受けを交換してもらうことにした。
 父から引き継いだグランコーポKの家賃収入の口座には400万円以上残っていた。
 毎月の家賃収入が40万円ほど。その中から私が生活費として使うのは20万円にも満たない。それほど贅沢な暮らしを望んではいないから、固定資産税や修繕費の為の蓄えておいても十分残る。
 住んでくれる人の為に、改良できるところは変えていこうと思っていた。
 きっと父も賛成してくれるだろう。
 私が憶測でいろいろと考えてもわからないので、一度、車いすの松野に部屋を見てもらって、変えてほしい個所を聞いてみようと思った。
 そのことをちちぶ不動産のご主人へ連絡すると、たいそう感心された。
 「あんたやっぱり若宮さんの娘さんだ。そういう気心の優しさが本当によく似ている。自分の利益よりも、他人の利益を第一に考えるところ。若いのに感心だね。ちょっとは私も真似しないといけないな。」
と言われた。いつものように額に右手を当てて話すご主人の様子が目に浮かぶようだった。
 「それじゃあ、松野さんに連絡をしておくよ。えぇっと101号室の学生さんが出るのが7月31日だから、8月だね。多分土日になるだろうね。若宮さんの都合は?」
そう言われて、私に用事など何もないことが少し恥ずかしく感じられた。
 「松野さんの都合に合わせて調整しますので、私の方はいつでも大丈夫です。」とあたかも忙しいけれども、都合をつけるような口ぶりで話した。これくらいの嘘では、罰は当たらないだろう。
 私は、父の口癖を思い出した。
「慶、嘘をついたら必ず自分に返ってくるからな。嘘をついたら罰が当たるぞ。」
幼い頃から聞かされていたので、馬鹿正直に生きてきてしまった。
 今は、そんな自分を誇らしく思えた。
 父を想っていたら、急に父との思い出を辿ってみたくなった。
 祖母の家に来ても、それほど子どもの私にとって楽しい遊びはなく、よく石神井公園まで出かけた。西武池袋線に乗って15分ほどだ。駅から少し下ると大きな池がある。そこの鴨に、持って来たパンをあげるのが好きだった。今はもう餌を与えるのは禁止されているだろう。もしかすると、当時から禁止されていたのかもしれないが、釣りの餌をやったりスナック菓子を放り投げて楽しんでいる者が結構いた。
 そこで白鳥の形をしたボートに乗るのがすきだった。ペダルを足で漕ぐのだが、子どもの足には結構重たく感じられた。そこで、父がペダルを漕いで、私はハンドルで舵をとる。ボート乗り場のずっと先まで行って、橋をくぐって一周するとちょうど30分だった。
 その後は売店でソフトクリームを食べる。それが江古田の祖母の家に行く時の楽しみでもあった。帰りに寿司を買って祖母の家で食べるのがまた嬉しかった。
 時計を見るとまた昼前だった。そうだ、石神井公園に行ってみよう。そう思って、駅に向かった。
 電車の窓から見える景色は、新しくなっていてあまり懐かしくは思えなかった。
 石神井公園駅も新しくなっていた。それでも、池までの道は記憶に残っていた。新しいマンションや飲食店が立ち並んでいたけれど、懐かしい匂いがした。
 売店も少し古ぼけたけれどあまり変わっていなかった。
 池には、手漕ぎボートが一艘貸し出されているだけで閑散としていた。
 恥ずかしい気持ちもあったが、ここまで来たのだからと券売機で700円のスワンボート30分券を買った。
 野球帽を被って、退屈そうにパイプいすに座っていたおじいさんは、私が一人で乗ることなど気にも留めずに、はい、13:07分までね。と言って、乗りやすいようにスワンボートを押さえていてくれた。
 「はい、いってらっしゃい」と言い終わらないうちに、またパイプいすに座って、新聞を読み始めてしまった。
 父が漕いでくれたように、力いっぱいペダルを踏む。重いと思っていたペダルは30年たってもやはり重くて、橋にたどり着くころには太ももが痛くなっていた。
 時計を見るともう15分以上経過していたから、舵をいっぱいに切ってUターンをして急いで船着き場に戻った。
 あまり感傷に浸る余裕はなくあっという間に過ぎていった。
 おじいさんに押さえてもらいながら、スワンボートを降りると、2歳くらいの女の子を連れた家族連れとすれ違った。母親は私と同じくらいだろうか。父親は随分若く見えた。
 売店でソフトクリームを買って、ベンチに腰掛けて食べると、味は普通のソフトクリームだった。もっと美味しいと思っていたのは、私がまだ幼かったからだろう。あれから30年が経ち、私もいろいろな食べ物を口にして、美味しさの感度が上がっているだと思った。単純に味覚の変化なのかもしれないが。
 先ほどの家族連れは、女の子を真ん中に手漕ぎボードに乗っていた。
 「とりさーん、こっちおいでー。」と鴨に話しかける女の子を母親が携帯電話のカメラで撮影をしていた。
 それを笑顔で見つめる父親。私もあんな風だったのだろうか。そう思ったら、急に涙が出てきた。
 照り付ける太陽の下、ソフトクリームを舐めながら涙を流す一人の女。それが私。
 私は、幼い頃、自分がなりたかった大人になっているだろうか。
 結婚をして、子どもを産んで、あの親子のように過ごしているだろうと考えていたはずだ。
 ましてや、独りでスワンボートに乗って、ソフトクリームを食べている自分など想像しなかっただろう。
 帰り道、父が買っていた寿司屋を探したけれど、見つからなかった。仕方なく、スーパーの寿司と惣菜を買って帰った。
 家に戻る頃には14時を過ぎていた。
 自分が社会から隔離されているような気分がした。
 「働きに出ようかな。」
と呟いてみたが、誰からも返事はなかった。
 部屋の隅で静かに佇むオーガスタの葉が、かすかに揺れたように見えた。

その日の夜、シャワーを浴びて、コンビニで買ったアイスキャンディーを食べていると、携帯電話が震えた。知らない番号が表示されていた。一瞬、出ないことも考えたが、固定電話の番号が表示されていたので、通話ボタンを押して「はい」とだけ返事をした。
 「もしもし、こちら横浜セントラル病院の看護師ですが、若宮様のご家族の方でしょうか?」
病院から?戸惑いながらも「はい、そうです。」
「若宮みどり様が先ほど緊急入院されました。手術の説明をしたいので、病院までいらしていただけますか?」
「入院?母は手術をするのですか?病名は?」
「駅の階段から転んで、大腿骨頸部骨折です。太ももの付け根ですね。オペ室の都合で、出来れば明日の午後に手術が必要なのです。」
「それで母は、どんな状態なのですか?」
「今は点滴をして眠っておられます。先ほど、一時間くらい前に救急車で当院に運ばれました。少し動揺が見られましたが、緊急連絡先を伺ったら、ご自分で手帳を開いてこの番号を教えてくださいました。」
「そうですか。話は出来るということですね。」
私は胸をなでおろした。父に次いで母までもが他界してしまったら、私は一人きりになってしまう。
「詳しくは後ほどご説明しますが、ご高齢の方、特に女性には多い手術です。東京にいらしゃるということですが、今夜か明日の朝いらっしゃることは出来ますか?」
「はい、すぐ行きます。一時間半ほどで行けると思います。横浜セントラル病院ですね?何階の病室でしょうか?」
慌てていても、必要な情報を確認しておかねばならない。
「3階病棟ですが、正面玄関は閉まっているので、裏口の夜間救急外来入口から入ってください。受付でお名前を言って、エレベーターで3階に上がって、ナースステーションで声をかけてください。当直の看護師がおります。私は整形外科病棟の看護師長の服部です。」
「わかりました。ありがとうございます。」と言って電話を切った。
 濡れた髪を乾かす時間がもったいない。急いでポロシャツとジーンズに着替えて、財布と携帯をバッグに入れて家を出た。
 階段を降りる時に、下から加藤匠が上がってきた。仕事帰りだろうか。
 「こんばんは。」といつもの笑顔で挨拶をしてくれたが、今は笑顔を作る余裕もなく、「こんばんは。」と目を合わせずに早足で階段を駆け下りた。
 「大丈夫ですか」と後ろから声をかけられたような気がしたが、焦る気持ちが聴覚を鈍らせているようだった。
 駅まで走って、閉まりかけたドアをすり抜けて電車に飛び乗った。
 そうだ、現金がいくらか必要なはずだ。父が緊急入院した時に、入院保障金を5万円支払ったことを思い出した。
 今夜は、看護師の説明を聞いて、明日の朝にでもコンビニでおろせばいいだろう。
 とにもかくにも病院へ急ぐことが先決だった。
 横浜セントラル病院は、横浜駅からみなとみらい病院への地下鉄に乗っていくはずだったが、新しい病院だから、行き方がよくわからない。横浜駅で降りて、タクシーで向かうことにした。タクシー運転手は、心得ているようで、こちらが何も言わなくても、病院面を言っただけで、夜間救急外来入口のドアの前まで着けてくれた。時計は20時を指していた。
 服部という看護師長に言われた通り、受付で名前を記入し、エレベーターで3階に上がった。エレベーターを降りたらすぐ目の前がナースステーションだった。
 「若宮です。若宮みどりの娘です。」と言うと、「こちらのお部屋です。」と、ナースステーションのすぐ隣の部屋を案内してくれた。
 「看護師長が参りますので病室でお待ちください。」と言われて、恐る恐る病室に入った。
 母の腕には点滴のチューブがつながれていた。
 「お母さん。」と声をかけると、瞼がぴくりと動いた。そっと近づいて、母の手を握ると、「慶ちゃん」と小さな声がした。
 「お母さん。」もう一度声をかけた。
 目を開いて、こちらを見て「慶ちゃん。」と言って母は笑った。
 「良かった。無事で。」と言いながら、私は溢れてくる涙を止めることが出来なかった。
 母は少し驚いた様子で、「大丈夫よ。転んだだけだから。もう歳ね。横浜駅の階段でね、ちょっと人にぶつかったのよ。そうして、気づいたら転がり落ちていたわ。」
「何段くらい上から落ちたの?」
「階段の三分の一くらいかな。5、6段ていうところかしらね。」
「それで?そのぶつかって来た人は?」
「わからない。何だか急いでいたみたいだからそのまま電車に乗ってどこかへ行ったのじゃないかしらね。」
「そんな。」
ひどい。他人にぶつかっておいて、そのまま逃げるなんて。憤りを感じていると、病室のドアがノックされて、返事をする間もなく、50代半ばくらいの看護師が入ってきた。
「こんばんは。看護師長の服部です。」
そう言われて、私は立ち上がって、
「先ほどはご連絡ありがとうございました。」と頭を下げた。
「若宮さん、目が醒めましたね。明日の手術まで絶飲食だから、娘さん、後でお水を買ってきてあげてください。このフロアの突き当りに自動販売機がありますので。」
「わかりました。」
「それでは、先生を呼びますので、このままお待ちください。若宮さんも、一緒に説明を聞きましょうか。ね、その方が良いですよね。」
と言って、また出て行ってしまった。
 ナースステーションの電話をかけているようだった。
 数分して、「お待たせしました。」と若い男性が入ってきた。手に持っていた白衣を着ながら、「ここでいいの?」と看護師長に確認していた。
 「椅子、並べますね。」と言って、看護師長は手際よく丸椅子を3つ、ベッドサイドに並べた。
 若い男性医師が、「はじめまして。整形外科の佐伯です。明日の手術を担当します。明日は、13時からだったね?」と看護師長に尋ねていた。
看護師長は「そうです。13時から地下一階の手術室で、手術をしますので、娘さんは12時までには病室にいらしてください。」
と言われて「はい」と返事をした。
 「えぇっと、若宮みどりさん。本日夕方に救急搬送されましたね。病名はですね、大腿骨頸部骨折です。尻もちをついた時によくあることです。特に、高齢になってくると、骨粗しょう症が進んで、全身の骨がもろくなってくるので、わずかな衝撃で骨折してしまうことがあります。若宮さんは、右側ですね。左足のすねに軽度の打撲が見られますが、これは自然治癒すると考えています。」
 看護師長が、布団をすそをめくると、左足のすねに包帯が巻かれていた。
「明日の手術ですが、人工骨頭置換術と言って、骨の再生は難しい年齢ですので、人工の骨を入れてやるのです。手術自体はそれほど難しい手術ではありませんので、それほど心配なされなくても大丈夫です。ただ、術後、リハビリが必要になります。このリハビリ次第では、元のように普通に歩けるようにもなりますが、安静にしすぎたり、リハビリを怠ったりすると、活動が低下して補助具が必要な生活になる場合もあります。入院期間は、大体4週間を目安に考えています。リハビリの進捗具合で、自宅に帰る患者様もいますし、施設でもう少し生活の訓練をしていく方もいます。その辺りは、今あれこれ考えるよりも、リハビリ次第といったところですので、またゆっくり考えていきましょう。何か質問はありますか?」
一気に話し終えた佐伯という医師は、早く終わらせたいという様子でまくし立てて聞いた。
「施設というのは、老人ホームということですか?」
と尋ねると、「そういう場合もあります。家のリフォームが必要になれば、工事が終わるまで老人ホームで過ごすということも考えられます。」
隣で聞いていた看護師長が、
「手術後のことは、担当の相談員がいるので、明日ご案内しますよ。手術のことでわからないことはありますか?」
そう言われて、確かに、医師には手術のことを聞くべきだったと思い、少し恥ずかしくなった。
「手術時間はどれくらいですか?」
「そんなにかかりません。3時間くらい見てもらえば大丈夫でしょう。本人が麻酔から目が醒めるのにはもう少し時間がかかりますが、夕方まではかかりません。」
「わかりました。」
「じゃあ、あとはいいかな?」と看護師長に言って、佐伯という医師は病室を出て行ってしまった。エレベーターを待っているのか、廊下でPHSの音がして「はい、佐伯です。救急?到着は何分後?了解。」という声がした。今夜が当直らしい。
 再び、母と二人きりになって、病室に静けさが訪れた。
 「お母さん、水飲みたい?」と尋ねると、「あんまり喉が渇いていないけど、一応買ってきてもらおうかな。点滴していると、お腹が空かないんだって。」と母は笑った。
 廊下の突き当りの自動販売機でペットボトルの水を3本買い、静かな廊下を歩いているとまるで自分が別の世界にいるような不思議な感覚に襲われた。
 「良かった。母はまだ遠くへ行かない。私は一人ぼっちにならなくて済むのだ。」そう思ったら、急にお腹が空いてきた。
 明日11時過ぎに来ることを約束して、病院を出た。江古田に戻る元気がなく、横浜の実家で寝ることにした。鍵は母から預かった。
 手術自体は難しくないと言っていた佐伯医師の言葉を思い出した。手術そのものよりも、その後のリハビリが重要だと。母が杖をついたり、車いすに乗っている姿は想像がつかなかった。
 コンビニで弁当を買って、横浜の家に着いたのは22時を過ぎていた。冷たいままの弁当を割り箸でつつきながら、広いリビングで一人座っていると、涙が溢れてきた。
 一人っ子の私には、もう母しかいない。しばらくは、横浜で生活した方が良いかもしれない。いつかは一人ぼっちになる覚悟をそろそろしておく必要があるのかもしれないと思った。
 次の日、11時過ぎに病室に着くと、母は手術着に着替えていた。
 「足、痛い?」と聞いてみた。
「慶ちゃん、子どもみたいね。」と母は笑って、私の頬を両手で包んだ。
 「大丈夫。先生が治してくれるから。」
そう言って、ベッドごと運ばれていく母を見て、まるでこれから火葬されるかのように、孤独に包まれた。
 家族待合室なる部屋で待機しているように言われた。よくある手術と言われても、落ち着いていられず、置いてある週刊誌をぺらぺらとめくっては閉じてを繰り返していた。
 手術が始まって一時間ほど経った頃、家族待合室のドアをノックする者がいた。
 「失礼致します。」と入ってきた男性は、ワイシャツにネクタイといういで立ちで、会社員のようだった。
 「若宮みどり様のご家族さまですね?今、お話してよろしいでしょうか?」と丁寧な口調で尋ねたその男性に、断る理由もなく、「どうぞ」と向かいの椅子に座ってもらうことにした
 「初めまして。私は医療相談員のきひらと申します。」
「きひらさん?」
変わった名前だったので、思わず復唱してしまった。
 「はい。こういう漢字です。のりへいと呼ばれることもあります。」と笑いながら言って、首からぶら下げた名札を見せてくれた。
 「そうだ。」と言って、持っていたバインダーに挟んであった名刺を一枚渡された。紀平一輝と書かれていた。
「若宮みどりの娘の慶です。」と挨拶をした。
 私は、名刺に書いてある文字をなぞりながら、「医療相談員さん?」と確認した。
「えぇ、そうです。私は、医療相談員と言って、患者様の退院調整を行っております。入院中の困りごとの相談に乗ったり、介護保険の手続きのお手伝いもしています。今回の件、突然で驚かれたでしょう。」
「はい、突然の連絡に慌てて病院へ駆けつけました。あの、母が介護保険を受けるのですか?」
私は、まだ高齢者と呼ぶには早いと思われる母に、本当に介護保険が必要なのかと半信半疑だった。
 「そうです。佐伯先生から、若宮さんのことで依頼がありまして、今回担当させて頂くことになりました。」
「佐伯先生が、ですか?」
「そうです。ああ見えて、結構患者様のことを親身に考えてくれる先生なのですよ。」と笑った。
「それで、母は介護保険が必要なんでしょうか?」
少し驚いたが、確認しなことには話は進まない。
「驚かれるのも無理はありませんが、結論から申し上げますと、介護保険の申請が必要になることが考えられます。」
「介護保険が必要っていうのは、どういうことでしょうか?母は転んでけがをしただけで、私との会話も問題ありませんが。」
「えぇ、お母様がしっかりしていらっしゃることは存じ上げております。ただ、今回の、大腿骨頸部骨折は、手術をしたからと言ってすぐに以前のように歩けるというわけではありません。」
「はい、それは佐伯先生からも伺いました。リハビリが大切だって。」
「お聞きになったなら良かったです。一般的な流れをご説明しますと、手術後3、4週間は当院でリハビリをして頂くことになります。その、リハビリの進捗状況や同居のご家族の状況によって退院先が異なります。」
「えぇ、それも伺いました。」
「失礼ですが、娘さんはお母様とは別に暮らしていらっしゃるようですが、ご結婚なさっているということでしょうか?」
私が独身かどうかを確認されることが、失礼だと思われるほど、恥ずべきことなのだろうかと一瞬考えた。
「いえ、独身です。東京の練馬区に住んでいます。池袋から10分位の江古田という街です。」
「そうですか。わかりました。お母様が退院された後、どれくらいの頻度で横浜のご実家へいらっしゃることが出来そうでしょうか?大体で結構ですが。」
どうやら淡々と質問するのがこの紀平という医療相談員の仕事のやり方らしい。
「私は、特に仕事をしているわけではありませんので、必要でしたら毎日通うこともできます。場合によっては、しばらく実家で暮らすこともできます。」
「そうですか。」と言った紀平は目を輝かせていた。
「それが可能なら話は早いです。」
「どういうことでしょうか?」
「ご本人の体力や意欲とリハビリの状況によっては、退院後にすぐに自宅に戻れない方もいらっしゃるのです。歩行器や杖で歩けない場合は、リハビリの職員や看護師、ご本人とカンファレンスを開いて、リハビリを専門とした病院への転院や、老人保健施設で自宅に戻る訓練をしてからご自宅へ戻られる患者様も多くいらっしゃいます。」
「そうですか。」
「患者様ご本人は早く家に帰りたいとおっしゃることが多いのですが、ご家族が遠方に住んでいたり、同居していても介護は難しいからまだ帰ってこられたら困るとか、これを機に老人ホームへ入所させてくれとか、いろいろな方がいらっしゃいます。」
「そうなのですか。それで、母の場合はどうなりそうですか?」
「ただ今手術中ですし、ご本人の意欲や体力も関係してくるので、何とも言えませんが、ご家族がサポートして頂けるのならば、当院でしっかりリハビリをして、ご自宅へ退院ということが可能かと思います。ただ、その時の身体状況によっては、杖や歩行器をご用意して頂く必要があるかもしれません。介護保険は、福祉用具のレンタルや購入の際に、申請しておくと安く利用できることがあるので。」
「そうなのですか?私はてっきり、介護が必要な高齢者の方が老人ホームへ入るために申請するものだと思っていました。」
「えぇ、そうですよね。お母様はまだお若いですから、退院時に介護保険を利用しても、数年後の更新の時には介護保険の介護度がつかず自立という区分になる場合もあります。」
「介護保険は更新が必要なのですか?」
私は知らないことだらけで、質問ばかりしていた。
「えぇ、そうなのです。一度ついた介護度は悪くなるばかりではなくて、良くなる、つまり介護保険の利用が必要なくなる方もいらっしゃいます。」
 その時、紀平のPHSが震えたのがわかった。
「ちょっと失礼します。」と言って、家族待合室を出たが、ドアの前で話しているので丸聞こえだった。
「わかりました。すぐ行きますので、面談室へご案内してください。」
と電話の相手と話していた。
 ノックされて再び紀平が家族待合室へ入ってきた。
 「すみません。本日はご挨拶だけのつもりでしたが、ご家族様のご意向を伺えて良かったです。それでは、退院後は身体状況に合った介護保険サービスを利用しながら自宅へ退院というお考えで進めさせていただいてよろしいでしょうか?」
 私としては、実家で母のサポートが出来ると言っただけで、母の意見も聞いてから決めたいような気もしたが、自宅へ退院することが望ましいような紀平の口ぶりを察して「はい」と短く返事をした。
 「それでは、またお母様のリハビリ状況に合わせて、時期を見て、介護保険のご案内を致しますので、お見舞いの時に来院されましたら、1階の総合受付の脇の廊下を突き当たりにある医療相談室へお声がけ下さると助かります。電話でも結構ですので、何かありましたら遠慮なくご連絡ください。それでは失礼します。」
と、早口で一方的に喋って一礼して出て行ってしまった。
 私は閉じたドアに向かって、「ありがとうございました」と御礼を言ってみたが、紀平の耳に届いたかどうかはわからなかった。
 ただでさえ母の手術で緊張している私の脳内に、たくさんの情報が入り、頭が混乱していた。先ほどまで眺めていた週刊誌を再びパラパラとめくっていると、またドアがノックされた。
 青い手術着を着た看護師だった。
「若宮さんの手術、無事終わりました。もうすぐ佐伯先生が参ります。」と、言い終わらないうちに、手術室のドアが開いて、佐伯医師が出てこられた。
 「先生ありがとうございました。」と頭を下げると、
「問題なく終わりました。しばらくしたら目が醒めると思います。」と言った。
 佐伯医師の額には汗が光り、髪は手術用の帽子で押さえつけられていたからかぺったりと張り付いていた。
 簡単な手術とはいえ、人の身体にメスを入れるのだから、神経を使わないはずはなく、佐伯医師にはほんの少し疲労の色が見えた。昨夜の当直の疲れもあるのかもしれなかった。
 看護師に言われるまま、廊下で待っていると、ストレッチャーに乗せられて酸素マスクをつけた母が出てきた。
 眠っているその表情は、まるで子どものように見えた。母は、自分の身に何が起こったのかまるで知らないのだろう。薬によって眠らされている間に、自分の身体を切られ、人工骨を入れられるのはどんな気持ちだろうか。ストレッチャーの上で眠る母と看護師2人と一緒にエレベーターに乗りながら、そんなことを考えていた。
 3階病棟へ到着すると、先ほどまでとは違う部屋へ運ばれた。4人部屋のようだったが、2つは空だった。
 手術着の看護師は3階病棟の白衣の看護師に申し送りをしてから、「失礼します」と会釈をして戻って行った。
 「娘さん、しばらくしてお母様が目覚めたら、ナースコールで教えて頂いても宜しいですか?」と言われて、責任重大なような気がして「はい」と返事をした。
 眠り続ける母の右手を握り、その温かさに安心した。
 母は一時間ほどしてゆっくりと目を開き、「慶ちゃん」と小さく呟いた。
「お母さん、手術、無事終わったよ。」と言うと、母はにっこりと笑った。
 私はナースコールを押すと、すぐに看護師がやって来た。
 体温を測り、その後、左手の人差し指をクリップのような計測器で挟んでいた。
 「若宮さん、マスク外しましょうか。」と声をかけて、ゆっくりと酸素マスクを外した。
 「お話できますか?」との問いに、母は「はい。ありがとうございました。」と返事をした。
 「今は痛み止めが効いているので、何ともないと思いますが、もし強い痛みを感じることがあったら、すぐにナースコールを押してくださいね。我慢しなくて結構ですよ。」と言って、ナースコールを母のお腹の上に置いた。
 「ええっと。」と看護師は呟いて、何やら記入していた。点滴のメモリを見て、少し回して、「オッケー」と独り言を言うと、「それではまた後で来ますね。」と部屋を出て行った。
 看護師からすると、よくある手術後の光景なのかもしれなかった。
 「お母さん、私、しばらく横浜の家で寝泊まりするね。」と言うと、
「いいの?お母さんのことは大丈夫よ。」と言った。
 「うん、わたし江古田で暇だったの。毎日お見舞いに来るから、わざわざ江古田まで帰る必要もないし。一回戻って、冷蔵庫の中を整理したらしばらく横浜にいることにする。」
「慶ちゃんに迷惑かけて悪いわねぇ。」
「悪くなんかないよ。マンションの管理人って全然やることないの。掃除くらい。後は、そうそう今度、大学生が留学するから部屋を退去するの。その手続きくらいかな。それから、その後に入る人はもう決まっていて、車いすで生活しているんだって。」
「へぇ。そうなの。」
「ちちぶ不動産のご主人がね、何だか話しにくそうにしているから気になったんだけどね、車いすっていうだけで、嫌がる大家さんもいるんだって。それで、うちのお父さんならきっとグランコーポKで受け入れてくれたと思うって言ってくれたの。それを聞いて何だか嬉しくなっちゃった。」
「そうねぇ。お父さんは、人を差別するようなことが嫌いだったからね。」
「それで、私のことをやっぱり若宮さんの娘さんだっていうの。私、お父さんに似ている?」と尋ねると、母は大笑いをした。
「そりゃ、親子だもの。そっくりよ。」
「えぇ?そっくりかな。」
と二人で笑い合った。
 そこへ、佐伯医師が入ってきて「若宮さん、具合はどう?」と声をかけてくれた。
母は、「先生ありがとうございました。」と言うと、「これからしっかりリハビリしてね。」と言って、すぐに出て行ってしまった。
「佐伯先生って冷たいんだか優しいんだかわからない先生だね。」と私が言うと、母は「そうね。心は優しいけど言葉が不器用なのね。本当は良い先生なだと思う。」と言った。
 その夜、私は一旦江古田へ帰ることにした。冷蔵庫の中で腐ってしまいそうなものを横浜へ運んでおきたかったし、明日はゴミの日だから、出しておきたかった。
 帰りの電車で眠ってしまった。神経を張っていたようで、短いけど深い眠りから覚めると、新宿を出発したところだった。次の池袋で西武池袋線に乗り換える。母と私のことを心配した父が起こしてくれたのかもしれなかった。
 
 グランコーポKに到着すると、何だかほっとした。まるで故郷に戻って来たような気持になった。
 郵便受けを除くと、新しく駅前にオープンした写真館のチラシが一枚入っていた。写真だけの結婚式、七五三、生後100日記念とサンプル写真が並んでいた。同じチラシが入っている隣室の家族は、このような写真を記録に残すのだろうか。結婚したら、挙式をしなくても写真だけ残すという選択肢もあるだなぁと、他人事のような気持ちで眺めていた。
 部屋に入るともわっと熱い空気が流れてきた。外よりも暑い。換気扇を回して、冷房のスイッチを入れた。
 今日のところは早めに寝て、明日の朝、洗濯物と着替え、冷蔵庫の中の生ものを整理して横浜に戻ろうと考えていた。けれども、布団に入ってもなかなか寝付けず、結局深夜0時を過ぎてから、洋服の仕分けと冷蔵庫の野菜を切って冷凍庫へ保存を始めた。
 少し眠くなってきたところで時計を見るともうすぐ2時になろうとしていた。
 この時間ならエアコンを切っても外は涼しいだろうかとベランダの窓を開けた。それから、屋上の野菜が気になり、屋上へ上がってみた。プランターに植えたプチトマトときゅうり、バジルが目についた。プチトマトは青い小さな実が4つついていた。キュウリは花が咲いて、これから実がなりそうだった。バジルは何枚か千切って、冷凍保存しておいた方が良さそうだ。数週間留守にするつもりだったが、このままでは枯れてしまう。
そういえば、部屋の中のオーガスタもそうだ。すっかりインテリアと化して忘れていた。思い出したようにそれらに水をやり、葉を撫でてやった。「ごめんね。」と呟いてみたが、返事はなかった。もしかすると、私は何かを育てるという行為が苦手なのかもしれなかった。植物さえまともに育てられないのに、子どもなど育てられるはずもないと思った。
 次の朝、目が覚めると8時を過ぎていた。急いで可燃ごみを捨てに行かなければ、また3日後になってしまう。
 顔も洗わずに、カーディガンを羽織って急いで玄関を出た。この辺りは、ごみの収集時間が早く8時半を過ぎてしまうともうすっかりごみは回収されている。
 何とか間に合ったとほっとして、グランコーポKに戻ると、階段を降りる足音がした。
加藤匠だった。
 どうして私はこんなにも頻繁に、すっぴんの時に限って加藤匠に会ってしまうのだろうか。自分が身支度をしていないことを棚に上げて、運命を呪った。
 「おはようございます。」と笑顔で挨拶してくれる加藤匠は本当に爽やかで眩しいくらいだった。
 「おはようございます。」
「大家さん、最近元気なさそうですね。」
と言われて、嬉しくなってしまった。
「実は母が入院していまして、しばらく横浜に帰るので留守にします。」と話すと、
「それは大変ですね。僕に出来ることがあったら言ってください。」
私はすっかり嬉しくなってしまった。
「ありがとうございます。今日はお仕事ですか?行ってらっしゃい」と、言いながら、まるで自分が加藤匠の妻にでもなったような気がして少し恥ずかしくなった。
そんなことなど気づいていない様子で、「行って来ます。」とごみ袋を持っていない左手で手を振ってくれたことが、たまらなく嬉しかった。
 部屋に戻って、手を洗いついでに顔を洗っていると玄関のチャイムが鳴った。
 こんなに朝早くに誰だろうと思っていると、「すみません。加藤です。」と声がした。
 慌てて、顔を洗い流し、「はーい。ただいま出ます。」と玄関に向かって叫んだ。
 「すみません。お待たせしました。」と玄関を開けると、
「ちょっと気になったものですからすみません。」
と言った。
「どうかされましたか?」と首からぶら下げたタオルで頬を拭きながら尋ねると、
「オーガスタ、うちで預かりましょうか?あの、ほら、枯れちゃうと可哀想だと思って。」
まるで、自分の頭の中を覗かれていたかのような発言に私は驚いてすぐに返事ができなかった。
「いや、あの、必要なかったらよいのです。ただ、ちょっと気になったので。」
申し訳なさそうに言う加藤匠に、「ありがとうございます。お願いしても良いのですか?」と言うと、「良かった。はい。もちろんです。喜んでお預かりします。」
「これからお仕事ですよね?」
「そうです。ただ気になってしまって戻りました。」
「お気遣いありがとうございます。」
二人で恐縮し合っていることに笑いがこぼれた。
 「あの、玄関の前に出して置いてもらえれば、自分が部屋に持って上がりますので、都合の良い時にここに出しておいてください。」と自分の足元を指さした。
 「ありがとうございます。昼前までには横浜に着いていたいので、支度が出来たら家を出ようと思っています。すみませんが、よろしくお願いします。」と深く頭を下げた。
「それでは、僕が面倒を見ますので、安心して行ってらっしゃい。」と今度は、加藤匠に言われて、「行って来ます。」と返事をした。
 他人から見たら、私たちは恋人に見えるだろうかと邪推して少しにやけてしまった。
 玄関を閉じると、201号室から「ようちえんいやー」という叫び声がした。それに続いて、「いいから行くの。お友達も先生もみんな、てっちゃんのこと待っているよ。仲良しブランコの一番前に乗るって言っていたでしょう?」と大声が聞こえた。それからしばらくして、てっちゃんと呼ばれる幼子は、諦めたようで「ママ、幼稚園から帰ったら、ぶどうのグミ食べてもいい?」という声が聞こえた。「うん、いいよ。ママ、スーパーに行ってぶどうのグミを買ってくるからね。」と優しい声がした。
 私はこの先、子どもを持つことができないかもしれないけれど、加藤匠との曖昧な距離の今、この瞬間の幸せを噛みしめたいと思った。
 冷凍しておいた食パンにはちみつとバター、シナモンをかけて、カフェオレとともに食べた。いつもはサラダやハムエッグなどもつけるのだが、昨夜、冷凍保存してしまったため、冷蔵庫にはほとんど何も残っていなかった。
 9時を過ぎて、家を出る前に、一旦屋上に上がり、ミニトマトときゅうり、バジルのプランターを302号室の玄関の前に運んだ。天気の良い日だけ屋上に運び、雨の日はベランダへ…と行ったり来たりさせていた野菜たちは、少し疲れているようで自分に重ねた。
加藤匠は、私の家の前で良いと言ったけれど、そういうわけにもいかないだろう。部屋に戻り、今度は部屋の隅に置いていたオーガスタを外へ運んだ。階段を昇りながら運ぶのは結構重労働だった。買った時は、加藤匠が運び入れてくれたから気づかなかったが。
 一筆箋に「よろしくお願い致します。若宮」と記して、オーガスタの鉢に添えておいた。加藤匠の電話番号は、賃貸契約書に買いてあるので知っていたが、こちらの連絡先は知らせていなかった。
もしかするとちちぶ不動産のご主人が、グランコーポKの家主と家賃振込先の変更の際に、各住人に知らせているかもしれなかったが、個人的に携帯電話を付き合わせて連絡先を教え合った記憶はない。一筆箋に私の連絡先を書こうか迷ったが、それではこちらが連絡してもらいたいように思われるのではないかと、いつもの考えすぎる癖が出て、結局書かなかった。
 江古田から池袋まで3駅だが、フレックス通勤なのか、結構乗客は多かった。
 横浜セントラル病院の面会時間は13時から20時だから、実家へ向かった。着替えと、冷蔵庫の中にあったたくあん、ヨーグルト、
もずく、こんにゃくを実家の冷蔵庫へ詰め込む。母は、倒れる前にスーパーに行っていたようで、食材は豊富に入っていた。
 あまり出来合いの惣菜を好まない母が、スーパーの20パーセント引きシールが貼られた、ひじきの煮物、鮭の塩焼き、水菜のサラダを買って、冷蔵庫へ保管していたことが、少しショックだった。
一人暮らしになって、料理を作る気力が無くなってしまったのだろうか。それとも、年齢的に衰えがきているのかもしれなかった。いずれにしても、年老いていく母の面倒を見るのは私しかいない。
 父がグランコーポKを残して亡くなったことで、マンション管理のことばかりが頭にあったが、本当は一番に母のことを心配すべきだったのかもしれないと自分を責めた。
 気丈に明るく振る舞っていたけれど、本当は誰よりも孤独だったのかもしれない。夫に先立たれ、娘は結婚するわけでもなく家を出てしまったのだから。
 汚れていない部屋に掃除機をかけ、布団を干した。洗濯かごに入っていた母の洗濯物を洗い、干そうとした時、擦り切れた母のスリップがなんともみすぼらしく見えた。
 グランコーポKの家賃収入があるというのに、父も母も全くと言っていいほど贅沢な暮らしをしていなかった。
 本来は、家賃収入は副業として、生活費は働いて稼いだ方が良いのかもしれなかった。そうすれば、母はもう少し良い暮らしができる。父もそれを望んでいるのではないだろうか。落ち着いたら、また仕事を始めようかと思った。それに、グランコーポKに自分が入居しなくても、十分に管理は出来ると思った。 
 午後になり、横浜セントラル病院へ向かった。照り付ける太陽は、肌をじりじりと焼いているようで、日焼け止めクリームを塗ったと言うのに半袖から出ている部分は赤くなっていた。
 病室へ入ると、母は何やら読んでいた。
「お母さん、何を読んでいるの?」
「慶ちゃん、外は暑かったでしょう?これはね、医療相談員の人が持って来てくれたの。福祉用具のカタログだって。こういうの面白いのねぇ。デザインもお洒落なのがあるのよ。ほら、この杖なんて桜の模様がある。」
「医療相談員さんって、紀平さんっていう方?」
「そうそう、慶ちゃん、どうして知っているの?」
母は不思議そうに尋ねた。
「昨日、お母さんの手術中に家族待合室に来てくれたの。お母さん、退院したら自宅へ帰るってことで良いのよね?」
「そうね、そうしたいけど、リハビリ次第では、ほらこういう4点歩行器っていうのが必要かもしれないって。だから、一人では大変そうよ。慶ちゃんに来てもらうのも悪いしね。」
「そんなことないよ。私は、毎日退屈していたの。マンションのオーナーって、別にそこに暮す必要なんて全然ないってわかったわ。」
「そうね、お父さんも毎週行っていたわけではないしね。」
「やだ、もっと早く言ってよ。私、相続する以上はオーナーとして頑張らなきゃって思っていたの。」
「お母さんは、慶ちゃんが一人暮らしをしたいのかなぁと思っていたから、引き留めなかったけど、本当は寂しかったのよ。」
「そうだよね。ごめんね。」
私は、自分が考えていた通り、母を孤独で苦しめていたことを悔やんだ。
 「まだ、決めたわけじゃないけど、また横浜に戻って、こっちで仕事をしようかなって思うの。グランコーポKにいてもやることは無いし、一人暮らしってそんなに楽しいものじゃないのね。話し相手がいないし。」
「そうねぇ。他愛もない話を出来る相手がいないっていうのは結構寂しいものよねぇ。」
二人の意見は同じだった。お互いに寂しい思いをしていたのだ。
「お母さん、また横浜に戻ってきてもいい?」
「それはもちろん大歓迎よ。でも、いいの?慶ちゃん、向こうに良い人がいるんじゃないの?」
加藤匠のことを言われているのはわかったけれど、「そんな人、いるわけないじゃない」と返事をした。
 加藤匠は結婚願望が無いと話していた。それならば、好きになってもいつかは終わりが来る。そう考えたら、あまり深入りしない方が良いと思っていた。それとは裏腹に、すっかり惹かれてしまっているのだけれど。
 「失礼します。若宮さん、今良いですか?」とカーテンの裏で声がした。
「どうぞ」と声をかけると、20代前半と思われる男性が立っていた。オレンジ色のポロシャツを着ているその男性は、筋肉質で見るからに男性ホルモンが溢れ出ていた。
「初めまして。自分は、理学療法士の今泉です。若宮さんのリハビリの担当をさせて頂くことになりました。今日は、挨拶だけ失礼します。」
と背筋を伸ばして、まっすぐ前を見て発するその声はまるで高校球児のようだった。
「若宮です。よろしくお願い致します。」と母が頭を下げるタイミングで私も一緒に会釈をした。
 「リハビリの開始日とメニューは、佐伯先生の指示でやっていきます。自分が休みの日は、別のスタッフが担当します。自分は、若宮さんの退院まで、責任を持ってしっかりやっていきますので、希望があれば言ってください。」
尚も、野球部員のようにはっきりと大きな声で話す今泉と言う男性に、好感を抱いた。
 病院というのは、一人の患者に対して何人もの職員がサポートしてくれるのだということに感動を覚えた。
 病室の清掃をしてくれる年配の女性も笑顔が感じ良く、看護師はみな忙しそうではあるが、やるべきことはしっかりとミスのないように動いていることが見てとれる。医療相談員という初めて聞く職業の紀平もせっかちな印象はあるが頼りになりそうだった。
 母と雑談をして、17時頃病院を出た。夕食は18時だという。その前に、夜勤の看護師への申し送りがあったり、点滴の確認などで、病棟全体がバタバタしている印象だったので、居心地が悪くなり出てきてしまった。
 帰りの電車では、言いようのない疲労感があった。昼の厚さはまだ残っており、病院内の冷房で冷えた体にぬるい外の空気は、体力を奪った。
 誰もいない静まり帰った横浜の家は、広く感じられた。この家も、母が亡くなった後は、私が相続するしかない。一人っ子だから当然だ。ということは、私が亡くなったら、誰が相続するのだろうか。きっと親戚の誰かになるのだろう。葬式は誰が出すのか?入院した場合の身元保証人は?やはり、家族というのはいたほうが良さそうだ。今からでも結婚する相手は見つかるだろうか?お見合いをする?恋愛市場で選ばれる魅力が私にはあるだろうか?
 いろいろなことが頭を過り、急に涙が溢れ出てきた。
 「お父さん、私どうしたらいいの?」
仏壇の前に跪いて涙を流すと、父が傍に来てくれるような気がした。今夜は、仏壇の前に布団を敷いて眠ることにしよう。

次の日、母が入院している横浜セントラル病院に行くと、昨日の今泉という青年が母のベッドサイドに座っていた。
 「こんにちは。」
「あぁ、どうもこんにちは。早速リハビリが始まりました。」
と白い歯を見せて笑う今泉青年は、嬉しそうに言った。
 「まだ手術して2日ですけど、もうリハビリをするのですか?」
「えぇ、今朝佐伯先生の回診がありまして、とりあえずはベッド上でのリハビリの指示がありました。」
母は、「体がなまらないように、厳しく指導してくださいって佐伯先生がおっしゃったのよ。」と笑った。
今泉青年は、
「若宮さんは、元々お元気でしたから、あんまり長い間ベッドで安静にしているのも良くないのです。それで、今日のところは手術していない方の足が衰えないようにすることと、手術した側の足のマッサージだけです。だから、そんなに心配そうな顔をしないでください。」と言われた。
 私は、そんなに心配そうな顔をしていたのだろうか。言われて恥ずかしくなった。
 「私は、席を外していた方が良いですか?」と尋ねると、「いえいえ、娘さんがよろしければ傍にいてあげてください。これから、リハビリ室で訓練をしたり、病棟の階段や廊下での訓練が始まりますが、それら全て、見学して頂いて結構です。その方が、お母様の励みになると思いますし、退院後のイメージもつきやすいと思うのです。」
「なるほど、わかりました。」
と答えて、今泉青年の熱心さに感心してしまった。
 20分ほどして、「それではまた明日来ます。」とお辞儀をして今泉青年は部屋を出て行った。
 「お母さん、どうだった。痛かった?」と尋ねると、「痛くはなかったわ。けれど、あんなに若い男の子に足を触られるのは緊張しちゃうわね。」と笑った。
 そうなのかと驚いた。もうすっかりそういう感情は無くなっていると思った母が、夫である父の死後、男性に触れられると胸が高鳴るものなのかと、私は内心動揺していた。それに、父の生前も夫婦で触れ合うことなどなかったのかもしれなかった。
 母は「そこの麦茶を取ってもらえる?」とベッド横のサイドテーブルを指さした。黄色いプラスチックのコップに薄茶色の液体が入っていた。
「これは、病院で出してくれたの?」
「そう。あんまり麦茶の香りはしないけれど、病院だから仕方ないわね。」と言った。
「自動販売機で買ってこようか?」
母は少し考えて、「そうね、お願いしようかしら。」と言うので、財布だけ持って廊下へ出た。
 廊下の突き当りにある自動販売機で、麦茶と緑茶、ブレンド茶のペットボトルを買って病室へ戻り、ベッドわきの冷蔵庫へ入れた。
 「ありがとうね。慶ちゃん。面倒かけるね。」と母は申し訳なさそうに呟いた。
 「お母さん、私、結婚した方が良い?」
一人娘の突然の投げかけに、母は「えぇ?」と驚いて、「そうねぇ」と続けた。
「あなたが結婚したい人がいるなら結婚すれば良いし、したくなければしなくても良いでしょう。別に、お父さんやお母さんの為に結婚する必要はないのよ。」
と母は私の真意に気づいているように返事をした。
 「ほら、あの家も江古田のマンションも、いずれは私が相続するわけでしょう。それで、私が死んだらどうなるのかな、と思って。」
 「そうねぇ。相続するとなったら、従弟のまさ君や、のりちゃんにいくと思うけれど、それが嫌なら若いうちに売っても良いのかもしれないねぇ。」と従弟の名前を挙げて、まるで他人事のように言った。
 「でも、売ったらお父さん悲しまない?」
すると母は笑って言った。
「そんなの、死人に口無しよ。お父さんにはお母さんから言っておいてあげるから大丈夫。あんまり家族のことばかり考えないで、あなたはあなたの人生を生きなさい。慶ちゃんは昔からそういうところがあったからねぇ。」
と遠い目をした。
 「そうか。」と私が言うと、
「江古田のマンションが負担なの?」と唐突に聞かれた。
 「ううん、負担というわけではないけれど、働かなくても毎月お金が入るっていうのも、つまらないなぁなんて思って。」
「そう。慶ちゃんらしいのね。あなたは昔から、進んで他人の為に苦労するような子だったから。」
「そう?」
「そうよ。ほら、小学校の時、お手伝いが必要な子のお世話係を買って出て、遠足とか運動会とかいつも面倒見ていたでしょう。それで、自分は全然楽しめていなかった。お母さん、実は心配していたのよ。そんなに他人を喜ばせなくても、自分が楽しめば良いのにって。」
「あぁ、そういうことあったよね。みさきちゃんのお世話係。本当はクラスで交代だったんだけど、若宮さんはよく気が利いてお世話係に向いているって山田先生に褒められたの。それで、自分からずっとみさきちゃんのお世話係をやりますって言ったっけ。本当は、お花の水やり係か、図書係もやりかったのだけど。」
「そうね。だから、これからは、何かを選ぶときに、相手がどうしたら喜ぶかではなくて、自分がどうしたいかで選択すれば良いのよ。あなたの為にはっきり言ってしまうと、そうやって我慢している姿を見るのは結構辛いのよ。あぁ、自己犠牲しているんだなぁって、周りは結構気づいているものよ。それよりも、多少周りに迷惑をかけても、自分が楽しそうにしている方が、見ている方が安心なのよ。」
聞いていて、段々苦しくなってきた。確かにそうだ。母の言っていることは正しい。でも、それでは、今までの自分の苦労が何だったのだろうかと思えてくる。結婚だってそうだ。婚約破棄されたのだけれど、それだって本当は、私と一緒に暮すことが窮屈になるだろうと相手が気づいたからだと思う。そんなことは、本当はとうの昔に気づいていた。
 「お母さん、今日は帰るね。また明日来るね。」と言うと、
「明日は休みなさい。今日も明日も明後日も変わらないのだから。お母さんは大丈夫だから。」
「でも。」と言い淀んでいると、
「大丈夫。そうしなさい。明後日、また待っているからね。」
と珍しく語気を強めて母は言った。
帰り道、母の言葉が頭の中をぐるぐると回っていた。
 私は、自己犠牲の人生を歩んできたのか。自分でも気づいてはいたけれど、それが周りを苦しめていたのか。
 確かに、小学校の時も右足を引きずって歩く軽度の知的障害があるみさきちゃんは、初めは喜んでいたけれど、段々と「私は大丈夫だから、遊んできていいよ。」と何回も言ってくれた。それは、私を気遣って言っていたわけではなくて、本当は自分のお世話係をして大変そうにしている私を遠ざけたかったからだったのだ。そうか、そうだったのか。
 横浜駅に着いて、下りの電車には乗らず、上りのホームに降りていた。今日は江古田に帰ろう。今の時間ならぎりぎり帰宅ラッシュに巻き込まれずに帰れそうだ。
 ぼんやりと車窓を眺めながら、「私はどうしたいのだろうか。」と口に出してみた。
 「私は、加藤匠が好き。もっと仲良くなりたい。交際したい。」
そうだ、間違いない。
 西武池袋線のホームを一番遠くまで歩いて電車を待っていると「大家さん」と声をかけ
られた。加藤匠だった。
「お疲れですね。お母さんの具合はいかがですか?」
「リハビリが始まって順調です。ありがとうございます。それより、いろいろ預かってもらってすみません。」
「いえいえ、気になさらないでください。もう戻られたのですか?」
「いえ。母は横浜の病院に入院しているので、行ったり来たりしているのです。」
「そうですか。僕は、余計なお世話を焼いてしまったのかな?」
と頭を掻いているので、
「いえ、そんなことありません。助かっています。私も、ずっと横浜の実家で過ごすつもりでしたし。明日、急に病院へ行かなくて良くなったので、急遽帰ってきたのです。」
「あ、電車きましたよ。乗りましょうか。」
と促された。
「大家さん、いつも頑張っているみたいだから、つい声をかけたくなってしまって。僕、世話焼きなのです。それでいつも迷惑がられる。」
「私も、同じです。さっき、母に全く同じことを言われました。それで、明日は病院に来なくて良いから休みなさいって。他人の為ではなく、自分の人生を生きなさいって。」
「あぁ、そうでしたか。耳が痛いなぁ。僕が言われているようだ。」
「そういうつもりではなくて。」
「わかっています。僕も昔ある人に同じようなことを言われました。それで、僕は他人と一緒にいると相手を喜ばそうとして疲れてしまうから、一人でいるのが一番なのだなって気づきました。」
「そうですか。」
告白する前からふられたような気分で聞いていた。
「大家さんは、僕と似ているところがあるから気になってしまうのです。それで、ついつい手を貸したくなってしまう。」
「ありがとうございます。」
嬉しいような、悲しいような、複雑な気持ちだった。
「次は江古田。」というアナウンスがあり、
「降りましょうか。」と促された。
話を変えたくなって、
「今日はお休みですか?」
と尋ねてみた。
「はい。普段はあんまり池袋に出ないのですが、人と会っていて。」
「そうですか。」
誰だろう?友人だろうか。気になったがそれ以上聞いて傷つくのもいやなので。そのまま黙っていた。
しばらく無言で駅の階段を上がった。改札を通ったところで、加藤匠が口を開いた。
「実は僕、独立しようと思っていて、知人に相談に乗ってもらっていたのです。」
「独立?練馬園芸を辞めるっていうことですか?」
「はい。そうです。元々僕は自分でお店を持つのが夢でしたから。それで、お金のこととかいろいろ相談に乗ってもらっていたのです。」
「そうでしたか。」
「植物の知識は、練馬園芸で身につけられたのですが、給料の方が全然で。今のままでは、開業資金が足りないっていうことで、ちょっと考えていて。」
「そうなのですか。」
内心、グランコーポKの家賃が高すぎるだろうかと頭を過ったが、どう考えても相場より安かった。
「何か私に出来ることはありますか?」
加藤匠は驚いた様子で足を止めた。
「いえ、すみません。全然そういうつもりではなくて。急に話したくなってしまっただけです。全然そういう意図はないです。家賃もかなり安いと思いますし。何かすみません。もうやめます、この話。」
と、恐縮されてしまった。
「すみません、こちらこそ。余計なことばかり言って。」
「こういうところですね。お互いに、お互いの為に何か出来ないかということばかり考えているところ。」
「なるほど!」
そう言って大笑いをした。
 保育園のお迎えだろうか、早歩きで時計を気にしながら空のベビーカーを押している若い女性がこちらを訝しげに見ていた。
 駅の階段を降りて、私は
「コンビニに寄るのでここで失礼します。冷蔵庫が空っぽで。」
と加藤匠に言った。すると、
「あ、はい。それでは。」
と返されたので、グランコーポKとは反対の方向へ歩き始めると、
「すみません。」
と声をかけられた。
「良かったら夕飯一緒にどうですか。僕も、どこかで済ませて帰るつもりだったので。」
と言われて、私は思わず、
「え」と言ってしまった。
「嫌ならいいのです。お疲れですよね。」
と言われて、
「いえ、すみません、よろしくお願いします。そんな風に言ってもらえると思っていなくて驚いてしまって。」
「もう少し話したいなと思って。あ、でも別に変な意味ではないです。」
と顔の前で右手を振りながら言った。
「はい。わかっています。」
と言ってまた一緒に笑った。
私達は、案外うまくいくかも知れない、と思った。その時は。
「カレーか、イタリアンか、焼き鳥か、ラーメンか、あとは居酒屋かな?好きな食べ物はありますか?」
と聞いてくれた。
「何だか無性にサラダが食べたくて。」
と言うと、
「それなら、大通り沿いの居酒屋はどうですか。店の名前はなんて言ったかな?」
「あぁ、あの入り口にハリセンボンが飾ってあるところですか?」
「そうです。吉村?吉川?」
「そんな名前でしたね。」
「前に一度だけ入ってみたら、海鮮サラダが美味しかったのですよ。それで、いつかまた行こうと思っていたのです。大家さんが良かったらどうですか?」
「行ってみたいです。」
「じゃあ、決まりですね。行きましょう。」
二人はまた一緒になって歩いた。
グランコーポKを通過する形で駅からまっすぐ歩くと、目当ての店にぶつかる。
 「あれ、今日はハリセンボンが出ていないなぁ。」
近くまで来てみると「本日定休日」と札がかかっていた。
「あぁ、休みかぁ。すみません。僕がここを提案したばっかりに。」
「いえ、良いのです。また今度にしましょう。」
「本当にすみません。」
「そんなに謝らないでください。」
「それではどうしようかな。」
「この間、偶然会った大衆居酒屋はどうですか?」
「あそこで良いのですか?」
「えぇ、とても気に入りました。」
「あそこは豚バラ丼が美味いのです。あ、でも、なんでもいけます。」
加藤匠は、気を遣って言った。私が豚バラ丼を注文せざるを得ない状況に追い込んでしまうのを気にしたようだった。
「あそこは、混み始めるのが早いんですよね。学生に人気があるから。」
「そうですね。安いし早いですもんね。」
「おまけに美味い。」
「えぇ」
その掛け合いが、長年連れ添った夫婦のように思えて、心地よかった。
 店に着くと、多くの客で賑わっていたが、席は2席空いていて、入り口の近くのテーブル席を案内された。
 「今日は僕がおごりますので、好きな物を頼んでください。」
と言われ、
「でも、独立するために貯金しているのでしょう?」
と言うと、
「女性にごちそうくらいさせてください。そんなにせこい男ではありませんよ。」
と言われて、
「すみません。」
と謝った。確かに、こういう時は、男に華を持たせるのが筋だろう。
 私は、自分がグランコーポKのオーナーで加藤匠が借主であるから、なんとなく自分の方がお金を持っているような気がして、つい口から本音が出てしまった。
加藤匠は、気にしていない素振りで、
「刺身の盛り合わせと、卵焼きは頼もうかな。サラダはえぇっと、大根サラダとシーザーサラダ、ごぼうサラダがありますね。」
「じゃあ、大根サラダでも良いですか?」
「はい、もちろんです。」
「豚バラ丼を一つ頼んで分けましょうか?」
「えぇ、お願いします。」
「この晩酌セット、良いですね。浅漬けと串焼き5本と冷ややっこ、たこわさがついてきてビール一杯もセットですって。」
「それを頼んで分けましょうか。」
「そうしましょう。大家さんの飲み物は?」
「えぇっと、私は梅酒のソーダ割りをお願いします。」
加藤匠は注文を頼むと、ちょっと失礼します。
とお手洗いに席を立った。
私は、いつかこの日がくることを夢見ていたような、予想していたような気がする。
最初に、この店のカウンターの並びの席で一緒になった時に、いつか加藤匠と一緒にテーブル席に座りたいと強く願ったのだろうか。それとも、そういう日が来ることが見えていたのだろうか。いずれにしても、現実に目の前の席で、これから一緒に食事をしようとしていることが、嬉しかった。
 おしぼりで手を拭いていると、加藤匠がハンカチで手を拭きながら歩いてきた。こちらを見て笑うその顔はまるで恋人に見せるような無防備な笑顔であった。まだ梅酒ソーダを飲んでいないのに、私は自分の顔が赤くなっていることに気づいていた。
 すぐに運ばれてきたビールと梅酒ソーダで「乾杯」とジョッキを重ねた。
「また横浜に戻るのですね?」
と尋ねられて、
「えぇ、明後日の朝一でまた戻ります。」
「そうですか。大変ですね。遠くはないと言っても、病院へ行くのは体力が必要ですからね。」
「そうなのです。なんだか疲れますよね。」
「病院って言うのは、生命力が弱っている人が多くいるから、元気な人が行くと生命力を奪われるような気がするのです。僕は、霊感とかそういった類のものは感じないけれど、何だか嫌な場所とか疲れる場所って言うのが昔からあって、病院は苦手ですね。特に、総合病院みたいな大きなところは。」
「わかります。私も、行って少し母と話して帰って来るだけなのに、なんだかぐったりしてしまって、夕飯を作る気になれず、毎日出来合いのものばかり食べています。」
「それでは、今日はたくさん食べましょう。」
そう言われて、また顔が赤くなった。今度は梅酒ソーダのせいにできそうだ。
 加藤匠は生ビールの3杯目を注文し、私は同時にレモンサワーを頼んだ。
 本当はあまり酔っていなかったけれど、今ならお酒のせいにできそうだったから、気になっていたことを聞いてみることにした。
「さっき電車の中で、独立するっていう話がありましたけど、いつ頃ですか?」
「あれは、まだ全然軌道に乗っていません。頭の中で構想だけはあるのですが。それで、店のレイアウトとか取り扱う商品とかは一通り考えています。そうそう、家に夢ノートっていうのを作っていて。なんだか恥ずかしいな。」
「聞かせてください。」
「それじゃあ、今夜の話は忘れてくださいね。」
「はい、そうします。」
「夢ノートっていうのは、僕が叶えたい夢を書いてあるこれくらいのノートです。」
そう言って、加藤匠は顔の前で四角を作った。
「B5くらい?」
「いえ、真四角なのです。それで、そこには箇条書きに叶えたいことを書いていたり、店のレイアウトなんかは図にして、とにかく自由に書き込んでいるのです。店の名前の候補とか、ロゴなんかも。それに書くと大体のことは叶っている気がします。そういえば、マンションを探す時も、家賃とか立地とか日当たりなんかの希望を書いていました。グランコーポKはほとんどその通りです。」
それを聞いて、私は鳥肌が立った。店の効き過ぎた冷房のせいだけではなさそうだった。
なんだか、私との出会いが、加藤匠の望み通りの運命だったと言われているような気がしたのだ。
「ただ、金銭面だけはどうしても難しいです。給料が安いから、宝くじでも当たらない限りは、資金面がどうにもこうにも。」
言い淀んで、私はあえて深く聞いてみることにした。
「お店の希望の立地はあるのですか?」
「そうですね、今のまま江古田に住むことも考えてはいるのですが、できることなら、日本橋とか、丸の内とかオフィス街に店を持ちたいのです。」
「それはどうしてですか?」
尋問のような口のなってしまっているとは思ったが、加藤匠は気にしていないようだったので続けて尋ねた。
「ああいう忙しないオフィス街で、お昼休憩にちょっと立ち寄ってもらえるような、そういう存在になりたいなと思っていて。でも、その反面、江古田で古い事務所なんかのビルを買い取って、1階が店舗で2階が自宅っていう形でのんびりと営業することにも魅力を感じていて。」
「そうですか。それって全く真逆ですよね。」
「あはは。そうなのです。僕にとっては後者の方が向いているのでしょうけど。ただ、あんまり今の職場の近くで店を開くのもどうかなと思ったりもしていて。」
「なるほど。それもそうですね。」
私は頭の中で、グランコーポKの102号室で、加藤匠が店を出している様子を思い浮かべた。実際には、吉村塗装が他に引っ越さない限りはあり得ないのだが。
注文していた生ビールとレモンサワーがきて、私は半分ほど一気に飲み込んだ。
「あの、例えば、1階の102号室。今は、吉村塗装さんが入っている物件はどう思われます?」
「グランコーポKの1階ですか?」
加藤匠は驚いた様子だったが、私は気にしなかった。
「はい、例えばです。」
「あそこは良いですよ。道路に面しているから、人の目に触れやすい。それでいて、2階の大家さんの部屋のベランダが屋根になって直射日光が当たらないから、植物にとっても丁度良いです。午後は西日が差すからそこで日を当てて、強くなっていたらシェードで影を作ることも出来るし。ああ、それは理想ですね。」
加藤匠は少し右上を眺めてふむふむと頷いていた。
「正直、グランコーポKの1階というアイディアは無かったですね。でも、吉村塗装さんは出て行かないでしょう?」
「えぇ、今のところそういう話はないですね。昨年更新して頂きました。毎朝道具を取りに来ているし、月末には事務作業をしているみたいです。」
「そうですよね。僕も時々お見かけします。それで、言いにくかったらよいのですが、102号室の家賃はどれくらいなのですか?」
「今は9万8千円です。それは私が決めたわけではなくて、父の代から。」
言い訳するように言ってしまった。
「でも、グランコーポKは古いし、もう少し安くしても良いかなと思っていて。9万5千円くらい。」
そんなことは考えたこともなかったが、加藤匠を目の前にして嘘をついてしまった。
「9万5千円ですか。」
「高いですか?」
「いえ、あの立地なら妥当か安いくらいでしょうね。ただ・・・」
「ただ?」
「僕が店を持つとして、やはり住まいも店も賃貸で居続けるっていうのはどうかなと思って。ほら、駅前のお寿司屋さんわかりますか?今は営業していないけれど。」
「あぁ、ケーキ屋さんの斜め向かいの、ですか?」
「そうです。あそこのご主人が亡くなって、お子さんが相続したらしいのですが、結局取り壊されずに、かといって貸し出すわけでも
なく廃墟みたいになっているじゃないですか?ああいうイメージなのです。2階建てで、1階の店からそのまま2階に上がって行けるような。」
「なるほど。そうするとグランコーポKとはちょっと違いますね。」
「いえ、グランコーポKはすごく良いマンションですよ。」
「お気遣いなさらないでください。」
「いえ、本当に。住みやすいですし。」
「ありがとうございます。」
「それでは、102号室でお店をやって自宅は101号室っていうのはどうですか。それなら、玄関を出て、すぐ隣の玄関を開けるだけですから。」
私にしては珍しく食い下がってみた。
「なるほど。悪くないですね。101号室は学生さんが住んでいますよね。」
「そうです。ただ、留学するので引っ越されました。今はリフォーム作業中です。それで、その後はもう決まっていて。」
「そうですか。すごいですね。安定していますね。」
「安定というか。ちちぶ不動産のご主人のおかげです。ただ、次の入居者の方が、車いすの方で、リハビリがてら一人暮らしをするそうです。それで、ある程度めどがたったら結婚されるそうです。その時にはまた出て行かれるのだと思います。」
「へぇ。そうですか。車いすの方。1階だからちょうど良いですね。」
「他のマンションで断られたそうです。傷がつくといけないからって。」
「それで大家さんが引き受けた?」
「えぇ、まあ。傷くらい、直せば良いだけですし、他で断られたと聞いて、余計に。」
「大家さんらしいですね。」
そう言って笑う加藤匠の目は潤んでいた。
「大家さんは優しいです。本当に。僕の為にもいろいろ考えてくれていて。」
「そんなことないです。加藤さんこそ、うちの子たちを預かってくれて助かっています。」
「それは、僕がそうしたいから。」
「やっぱり僕たちは似ている。」
「そうかもしれないですね。」
このまま時が止まってしまえば良いのに、と、ドラマのようなそんな言葉が思いついたのは生まれて初めてだった。
 
 私は、明日の朝食を仕入れる為に、遅くまで営業しているスーパーへ寄ると言って別れた。グランコーポKまで一緒に歩いて、2階で別れるのが切なくなりそうだったから。
 一日分の食料を買うというのはなかなか難しくて、4つ入りのロールパンとベーコン、ほうれん草、1リットルの牛乳を買った。朝食で余った分は、クリームパスタにすればいい。家にあるバターと小麦粉、粉チーズでカルボナーラ風になるはずだ。夜は外食が惣菜で済ませるつもりだ。
 グランコーポKに帰って、風呂に浸かりながら、加藤匠の夢を思い描いた。102号室が観葉植物のお店になる。店主は加藤匠。住まいは101室でも良いし、201号室か301号室のファミリータイプの部屋が開いたらそこで一緒に暮しても良い。もしかすると、私も加藤匠も一人の時間を大切にしたいタイプだから、今のまま202号室と302号室に住んだままというのも良いかもしれない。時々店を手伝う私。
昼食の時間は、簡単に済ませられるように、サンドイッチにアイスコーヒー、寒い時にはコーンポタージュを保温ボトルに入れて届けても良いかもしれない。
 そういう日が来たら、私はどんなに幸せだろうと考えるだけで胸が熱くなった。
 次の日は、雨だった。家に居てもすることが無い。けれども、外出する気分でもない。久しぶりに、洋服のパターンをスケッチブックに描いて時間を潰した。ワイドパンツを作ってみようと思ったけれど、デザインがなかなか決まらない。描いてはバツをつけて、5枚ほど繰り返して諦めた。
 翌朝、横浜へ向かう為に家を出た。次にグランコーポKに戻る時に起こることを想像する由もなかった。
 母のリハビリは順調に進み、元々歩くのが好きな母は、杖で歩けるまでになっていた。
 当初の計画通り、約一か月の入院の後、自宅へと退院した。タクシーの乗り降りも支えが必要ないほどだった。
 「こんな杖、おばあちゃんみたいでいやだわ」と言う母は、じきに杖がいらなくなるだろうと思えた。
 それでも、重い物を持ったり、段差を歩くのには注意が必要だから、私はしばらく横浜で暮らすことにした。
 その間に、ちちぶ不動産のご主人から何度か連絡があったが、全て代わりに対応してもらった。101号室の車いすの新しい入居者が、一度挨拶をしたいとのことであった。
 グランコーポKの前にある道路からマンション敷地内に上がるためのわずかな段差に段差解消スロープをホームセンターで買い、設置したことをずいぶんありがたがっているという。
 それから、マンションの2階の踊り場付近に蜂の巣が出来始めていると言うので、事情を話して専門業者を手配してもらった。代金を立て替えてもらっているので、江古田に戻ったら御礼を添えてちちぶ不動産へ行くつもりだ。
 母の入院中は、日中江古田に戻ることも出来たが、退院してから目を離せないでいる。正確には、目を離しても問題は無いのだろうが、看護師から、退院直後に不注意で転倒して再入院した患者の話を聞かされ、私はいつも以上に神経質になっていた。
 母とぴったり一緒にいるわけではないが、それでも視界に入るところにはいたいと思う。買い物は、母が希望する時だけ、一緒にタクシーで行く。それ以外は、私が一人で行く方が断然早いから、さっと済ませている。
 洗濯物を干したり、料理をしたり、母は何かとやりたがるので、負担がかからない程度に手伝ってもらう。
 母は時間が経てば元の通りに生活できる見込みだが、それも今だけだと思った。
あと10年、もしかすると5年もすれば、今より歳をとって身体の自由がきかなくなるかもしれない。その時、私はどこにいるのだろうか。
 母は私に、他人の為ではなく自分の人生を生きなさいと言った。もうすぐ40歳。私の人生はどうなっていくのだろうか。
 日が落ちるのが早くなり少し肌寒くなった夕方、ちちぶ不動産のご主人から連絡があった。珍しく、グランコーポKの入居者で、家賃の滞納はないかという連絡だった。
 理由を尋ねると、ちちぶ不動産が扱っている他のマンションで10か月の家賃滞納の上、夜逃げされたという事件が起こったというのだ。オーナーがきちんと振り込み確認をしていなかったのが悪いのだが、夜逃げするような入居者を斡旋したちちぶ不動産に責任があると、オーナーが怒っているという。
 どういうわけか、グランコーポKの入居者で問題を起こすようなものはいなかった。それも父の人徳だと思っている。
 それに、もし何か起こったとしても、ちちぶ不動産のせいにするのは筋違いだと思う。
 電話を切った後、母が、
「そろそろちちぶ不動産に顔を出した方が良いのじゃない?」
と切り出した。
「でも・」
言い淀んでいると、
「一日くらい大丈夫だから、行っておいで。ご主人にたくさん横浜のお土産持って行ってね。」
「うん、わかった。明日行ってみようかな。夕方には戻るけど、お母さん大丈夫?」
「もちろん大丈夫よ。」
母に背中を押されて、翌日江古田へ向かった。グランコーポKには寄らずに、直接ちちぶ不動産へ行くことにした。
 横浜土産と蜂の巣の駆除代金、デパートの共通商品券を持参していたから、早く渡して身軽になりたかったからだ。
 「どうもどうも。若宮さん、久しぶり。まあ座ってよ。ずいぶん大荷物だね。」
と私の手に提げた紙袋を見てご主人は言った。
「これ、横浜のお土産です。留守の間いろいろとありがとうございました。」
「こんなにもらっちゃって悪いね。」
「いえ、それから蜂の巣の駆除代金と御礼です。」
私が出した商品券に目を丸くして、
「何だか申し訳ないね。これ領収書ね。一応若宮様にしてもらったけど、良かったかね。確定申告で使うでしょう。」
「ありがとうございます。助かります。」
横浜の土産代も、デパートの商品券の代金も、蜂の巣の駆除代金も全て経費で落とすつもりである。だからちっとも申し訳なくなんかないのだ。
「そうそう、若宮さんね、来てもらって良かったよ。昨日電話したでしょう。あの後、閉めようとしていたら、302号室のあの背の高い男の人。えぇっと。」
「加藤さんですか。」
「そうそう。加藤さん。」
「加藤さんがどうかされましたか?」
私は身を乗り出して聞きたい気持ちを押さえて、冷静を装っていた。
「加藤さんがさ、まだ迷っているみたいだけどね。もしかしたら引っ越すかもしれないって。」
「えぇ?いつですか?」
「いや、まだ日取りは決まっていないらしいけどね。と、いうか、引っ越し先が決まったわけではないみたいだけど、探しているからって言うので相談に来てね。何でも、誰かと二人で住みたいらしいんだ。」
「二人で?女性ですか?」
「うーん、どうだろうね。あの感じでは彼女っていう風でも無いし、もしかしたら家族とか友達かもしれないけどね。」
「それで、紹介したのですか?」
「いくつか物件を見てもらったけど、金額的に合わないっていうので、昨日は帰って行ったよ。そんなに急いでいる様子でもなかったけどね。」
「そうですか。」
「でも、まだいつっていうのではないから、次の人を探すのは早いと思うけど。」
「次の人?」
私が抱いている加藤匠への想いを知っているというのだろうか。
「次の入居者さんだよ。今の時期はすぐ見つかるかどうかも怪しいけどね。」
「あぁ、次の入居者さん。それは良いのです。空室になっても大丈夫ですから。」
「そうか。グランコーポKはもうローン完済しているんだったね。まあ、いつのも流れで、決まったらまた書類を作成しますよ。それでクリーニングしてから貼り紙出すからね。」
「ありがとうございます。」
私は、気が気でなかった。
ちちぶ不動産での用事を済ませたら、早歩きでグランコーポKに戻った。

自分の部屋へ戻ると、もわっとした空気が押し寄せてきた。窓を開けて換気をする。水道をしばらく出して、手を洗いうがいをしたら、すぐに部屋を出て3階へ上がった。

 加藤匠がいる保証はなかったけれど、訪ねずにはいられなかった。

 チャイムを押すと、「はい」という返事とともに加藤匠が玄関を開けた。

「あぁ、どうも。お帰りなさい。戻られたのですか?」

「うちの子たちがお世話になっています。実はまた今夜横浜に戻るのですが、ちちぶ不動産に行く用事がありまして。」

「そうだったのですか。」

「それで、あの、お引越しされるのですか?」

「あはは」と笑って、

「ご主人がもう話してしまったのですか。」

と苦笑いをした。

私は、ちちぶ不動産へのお土産のことばかりで、加藤匠に何も買ってきていないことを思い出して悔やまれた。

「ここではなんですから、良かったらどうぞ。」

案内されて入った部屋は、相変わらずきれいに整頓されていた。

 テーブルの上には、植物図鑑とノート、ボールペンが置いてあった。

 「すみません。今片付けますから。」

「いえ、お構いなく。」

「コーヒーで良いですか?」

「じゃあ、はい。」

そう返事をしたものの、そんなことよりも、同棲相手が誰なのかを知りたかった。

鉄瓶に浄水器の水を入れて湯を沸かす加藤匠の背に向かって、

「どなたかと暮らすのですか?」

と思い切って投げかけてみた。

「えぇ。」

短い返事に肩透かしをくらった。

無言でコーヒーを淹れている背中に何も言えなくなってしまった。こぼれそうな涙をこらえるのに必死だった。

マグカップに淹れたコーヒーを「どうぞ」と目の前に置かれて、「ご結婚されるとか?」と聞いてみた。

「いえ、そういうのではないのです。」

「それじゃあ。」

「おばです。」

「おばさん?」

「はい。父の弟の奥さんです。」

「どうして?」

「実は、伯父が先々週亡くなりました。伯父は父と8つ歳が離れています。以前話したと思いますが、僕の母は僕が幼稚園の時に亡くなりました。それで、伯母が僕の母代わりでした。近所に住んでいたので、幼稚園の送り迎えやお弁当作りなんかもしてくれていて、僕にとって母は一人ですが、伯母のことを母のように慕っていたのは事実です。幼い僕から見てもすごく可愛い人でした。」

私はコーヒーを一口すすり聞いていた。

「伯母夫婦には子どもが出来なくて、伯母は僕のことを本当の子どものように育ててくれました。父が仕事から帰るまで、伯母の家で過ごしていたのですが、帰りたくないと泣いていたようです。父と二人で暮らすよりも伯母と一緒に暮したいとさえ思っていました。それで、伯父が亡くなって、久しぶりに会った伯母は随分と小さくなっていて、僕が一緒に暮すことを提案しているのです。」

「そうですか。それは、どちらで?」

「できればこの辺りで一緒に暮したいと思っているのですが、ワンルームという訳にはいきませんし、探しているところです。でも、本当は今の家を手放したくないみたいで。」

「ご実家はどちらですか?」

「熱海なのです。実家はもう処分して無いのですが、伯母の家は坂の上にあってなにかと不便で。」

「そうですか。」

私は内心、東海道線で横浜からすぐに会いに行けるなと思ってしまった。

 「今はまだ買い物にも行けていますが、これから先、伯母一人では心配なのです。母代わりと言っても、15歳しか離れていないので、姉のようにも思っていました。」

「それではまだ50代ですよね。」

「えぇ、そうです。だからまだ元気です。」

「それなら、まだお一人でも大丈夫なのではないですか?」

「えぇ、まあ。」

伯母とはいえ、血縁関係のない女性と加藤匠が一つ屋根の下で暮らすことを阻止したい気持ちがあった。

「何かご心配でも。」

「先ほども言いましたが、僕は。」

「えぇ。」

「伯母のことを母のように想っていただけではなく、本当は恋心のようなものを抱いていたというか。」

私は驚いてしまった。

確かに、父の弟の奥さんならば、血は繋がっていないから、恋してもいけないことはない。ましては、母を失った寂しさを埋めてくれた年上の女性。加藤匠と15歳しか離れていないのならば、伯母が二十歳そこそこで出会っていることになる。若くて可愛い女性が自分の身の回りの世話をしてくれる。子どもがいない伯母には、匠少年は溺愛の対象であったであろう。

 これでは、どんな女性でもかなわない。老後の世話をする為の同居ではなく、長年の恋心を実らせるための同居なのだった。

「お店を持つ夢は?」

「それはまだあります。でも、今は、伯母のことが心配なのです。」

「そうですか。伯母様は何と仰っているのですか?」

「僕のことは我が子のように思っているから、僕の言う通りにする、と。本当は熱海を離れたくないみたいですけど、僕と暮らすのも楽しみねって言ってくれています。」

どうやら、二人の仲は私が入る隙がないくらい深いらしい。

「それで、僕が熱海に戻っても良いのですが、伯父の家で暮らすのはちょっと抵抗があって。それに古くて、もう危ないのです。いつ崩れてもおかしくないっていう感じで。最近は、また熱海が移住ブームだから、今売ったら土地代だけでもそれなりの金額になると思っています。伯母も納得してくれています。」

「それでは、そのお金でお店を?」

「それはしたくないのですが、伯母は将来的には僕が相続するお金だから、と言ってくれています。でも、売るには先に引っ越さなくてはならないし、お金が入るのはそれからだから、それまで伯母と住む家を探していて。」

私はほとんど考えることなく、自分でも驚くようなことを言ってしまった。

「それなら、うちに住みませんか?」

「え?大家さんの家に?」

「はい、私はもうしばらく横浜に暮していますから、もし良かったら伯母さんに引っ越してきてもらってはいかがですか?もちろん、荷物は一旦引き上げます。冷蔵庫とか、電子レンジとか中古ですけどそのまま使ってもらって構いません。私物だけ片付けますから。」

「そんなことお願いできません。」

「いえ、私も何となくそうしたいと思っていたのです。大家って、その物件に住んでいる必要なんてないのだなって感じているのです。横浜ならいつでも駆けつけられますし、そんなに大家の出番って無いのだなって思いました。大体のことはちちぶ不動産が代わりにやってくれるので、契約とか緊急事態の時だけ顔を出せば良いのだってわかりました。」

「そんな。」

加藤匠は明らかに困惑していた。

「いえ、私は本気です。是非そうしてください。伯母様お元気なのですよね?2階までの昇り降りは問題ないのですよね?」

「えぇ、坂道で鍛えられていますから。」

「こんなこと言ったら、なんて思われるかわかりませんが、加藤さんのこと応援したいのです。お店を出す夢、叶えてください。」

「ありがとうございます。ちょっと伯母と相談させてください。」

「はい、そうしてください。家賃は、5万円で良いです。」

「5万円?そんなに安くしたら大家さんが困るでしょう?」

「いえ、困りません。ここのローンは父の代で完済されています。幸い、私には養う家族もいませんから、空室になるよりは5万円の家賃が入る方がありがたいのです。それに、もう出て行くつもりでしたから、きっかけが欲しかったのです。」

私は、自分が言っている言葉の意味が自分でもわからないくらい必死だった。

 「あの、メモとペンをお借りできますか?」

「はい、どうぞ。」

加藤匠は、先ほどテーブルの上に載っていたノートの一番後ろのページを開いて、ボールペンとともに渡してくれた。

私は、自分の名前のフルネームを漢字で書いて、その下に携帯電話番号とメールアドレスを記した。

「これ、私の連絡先です。伯母様と相談して決まったら連絡してください。基本的にはいつでも出られます。横浜の家で母の面倒を見ているだけですから。それで、引っ越しの日を決めて下されば、その日までに片付けます。」

「はいわかりました。考えてご連絡します。」

「それじゃあ、失礼します。そういえば、もう少しうちの子たちを預かってもらっても良いですか?今日これから横浜へ戻るので。」

「もちろんです。」

冷めたコーヒーを一気に飲み干して、私は振り返りもせずに部屋へ戻った。

玄関の鍵を閉めた途端に、我慢していた涙が溢れだした。

 私の恋が音を立てて崩れ落ちていった。全て終わった。私が描いていた夢。加藤匠は伯母と叶えるのであろう。本当は伯母ではなく、年上の愛する人なのだろう。

 嗚咽が漏れないように、テレビのボリュームを上げて、声を上げて泣いた。こんなことは今までの人生で一度も無かった。婚約破棄された時でさえもこんな泣き方はしなかった。

 私は生まれて初めて恋をして、破れた。

テレビからは、中秋の名月を告げるアナウンスが流れていた。

 それから2週間が経った。母は、少しずつ杖がなくても移動できる距離を伸ばしていった。屋内の移動は、つかまる場所があれば何とか杖なしで歩けるようにまでなった。外出するときは、まだ不安なので、杖は手放せない。

 「ちょっと出かけるのに杖をつくなんて、もうおばあさんだわね。」と母は半分笑いながら言う。

 昼ご飯に栗を入れたグラタンを作っていると、携帯電話が震えた。

 見ると、加藤匠からだった。

「お久しぶりです。お元気ですか。お母様の具合はいかがでしょうか?お話したいことがあります。今度横浜散策を兼ねてお会いしに伺いたいのですが、今週の金曜日か来週の水曜日はご都合いかかでしょうか?お返事お待ちしています。」

と加藤匠らしい丁寧なメッセージだった。

 読んでいるだけで胸が熱くなっていることに気づいた。わざわざ横浜まで会いに来てくれるという。本当は、伯母はただの伯母でしかなく、私にも望みがあるのかもしれないと、儚い希望が湧いてきた。

 少しでも早く会いたくて、今週の金曜日の方が都合が良いと、些細な嘘をついた。

 一度横浜散策をしてみたいという加藤匠の願いを叶える為に、プランを練った。金曜日まであと2日しかない。近くに住んでいると、意外と観光名所を知らないものだ。

 近所の書店へ行き、横浜周辺のガイドブックを読んで参考にした。

 あれこれ考え過ぎて寝付けない夜を2晩超えた金曜日の朝、6時過ぎには自然と目が醒めてしまった。

 母は何かを感じ取っていたようだったが、「友達とランチをする」という私の言葉を信じているかのように振る舞ってくれた。

 11時に桜木町駅で待ち合わせていたが、10時40分には着いてしまった。久しぶりに薄く化粧をしているせいで、なんだか肌が乾燥しているみたいだった。

 10時48分着の電車が到着し、発車した後の人の波の中に加藤匠を見つけた。背が高いからすぐにわかる。右手を振って微笑む姿を見て、自分の顔が赤らんでいるのを感じた。

 「すみません。お忙しいのにお呼びたてしてしまって。」

という加藤匠に、

「いえ、私は近所ですから。それよりも、わざわざ横浜までいらして頂いて申し訳ないです。」

「一度、横浜を観光してみたかったのです。ちょうど良い機会なので、押しかけてしまいました。」と笑った。

「それでは、行きましょうか。」

今日は私がリードする番だった。

桜木町駅から、歩いて汽車道を通り赤レンガ倉庫へ。そこから少し移動して、山下公園から海を眺めて中華街でランチをするプランを立てた。そこからは、加藤匠の希望を聞きながら、考えれば良いと思ったから、いろいろ下調べした割には、おおざっぱなプランだった。

 「海の匂いがしますね。熱海とは少し違います。」とか、「江古田に新しいラーメン屋ができたのです。」とか、他愛のない会話をしながら歩いた。

 赤レンガ倉庫は「いい雰囲気だなぁ。夜はまた違うのでしょうね。」とうっとりしたような口調で話していた。

山下公園に着いて「ちょっと休みましょうか。」と促されて、氷川丸の見えるベンチで並んで腰を掛けた。

 私は、早く知りたくて自分から尋ねてしまった。

「その後、伯母様の様子はいかがですか?」

「はい。僕もその話をしに来ました。」

内心、そうでしょうね、と思っていたけれど、もちろん声には出さなかった。

 少しの沈黙の後、加藤匠が口を開いた。

「この間は、大家さんの部屋を安く貸してくれると言ってもらえて嬉しかったです。」

「いえ、そんな。」

「それで、伯母と話してみました。」

「はい。」

「いろいろ話していて、東京に来ることには賛成してくれましたが、本心は熱海に残りたいのだなと強く感じました。」

「そうですか。」

「それで。」

「はい。」

これから、どんな結果が聞かされるのだろうかとドキドキしていた。

「僕が熱海へ戻ろうと思います。」

私は、驚いて何も言えなかった。

加藤匠はそれを見抜いているかのように、答えた。

「練馬園芸は近いうちに辞めようと思います。伯母は、温泉旅館に住み込みで働くことになりそうです。家財道具なんかは処分して、必要なものはレンタル倉庫を借りるそうです。僕は、熱海に物件を探しているところです。店舗と住宅を兼ねられる物件です。あとは軽トラックも置ける場所。」

「そうですか。」

そう返事をするのが精一杯だった。

「実は、気になる物件が一つあって、駅からは少し離れているのですが、元々床屋だった建物で、1階が店舗で2階に居住スペースがあります。」

「丸の内とか日本橋のオフィス街へ出店する夢は、諦めてしまうのですか?」

私は、意地悪な質問をしていることに気づいていた。加藤匠は少し俯いて、

「元々、田舎者の僕には大きすぎる夢だと気づいていました。せめて江古田で、とも思ったのですが、やはり自分で買い取るには高すぎました。それに、東京で店を出すつもりで貯金していたので、熱海なら手が届きそうなのです。」

と言った。

「本当にそれで良いのですか?」

自分でもちょっとしつこいと思ったが、食い下がってみた。

「えぇ。僕の本当の夢は・・・」

そこまで言って黙ってしまった。

「夢は?」

「こんなことを言ってしまっては、失望されてしまうかもしれません。」

「失望なんてしません。」

「僕の夢は、母です。」

「お母様?幼稚園時代に亡くなられた?」

「そうです。僕は母に会いたかった。母が亡くなったあの日からずっと。それが、いつしか伯母にすり替わっていました。母親代わりをしていた伯母に本当はもっと甘えたかった。けれども僕の父が許さなかった。当然のことです。血の繋がりもない僕を、親戚というだけで世話をしてくれた。それで、近くに住んでいてはいけないような気がして、高校卒業と同時に熱海を出ました。父が死んで、伯父も亡くなった。ようやく高い壁が取り払われたような気がしました。僕は、伯母のことを愛しているのかもしれないし、そうでないかもしれない。一人の女性としてではなく、僕の母として大切にしていきたい。これからは誰にも咎められずに母と子でいられると思ったら居ても立ってもいられなくなってしまった。伯母には、ありのままの僕の気持ちを話しました。そうしたら、伯母も同じ気持ちだと。子どものいない伯母は、僕のことを本当の息子のように思っていると。だから、一緒に暮せたら嬉しいと言ってくれました。伯母の家が売れたら、一緒に商売を始めようと思っています。観葉植物の販売と、レンタルも仕事にしようと思っています。」

「観葉植物のレンタル?」

「そうです。オフィス街では結構当たり前に成立しているビジネスです。オフィスにある観葉植物はレンタルであることが多いのです。定期的なメンテナンスにも行きます。それで、もし要望があれば、すぐに違う植物に交換します。飽きたという単純な理由でも良いし、風水を生かして年ごとに替えてくれと言う会社もあります。熱海はオフィス自体それほど多くはありませんが、別荘地ですから、自分たちが過ごす時期だけ観葉植物を搬入してほしいという要望もあると思うのです。あとは、別荘用のマンションの共用部分にある観葉植物のメンテナンスもやろうと思っています。」

「そうですか。」

そこまで、夢が膨らんでいたら、私の出る幕など無かった。

「もうすぐ夢が叶うのですね。」

「はい。」

「良かったです。」

「大家さんにはお世話になりました。」

「いえ、こちらこそ、親切にしてもらって嬉しかったです。」

「引っ越す時期はまだご連絡します。」

「はい。わかりました。」

そう聞いて、涙が溢れているのがわかった。

堪えきれなくなって、私は下を向いた。すると、涙がこぼれて止まらなくなってしまった。

「大家さん。」

そっと私の背に手を添える加藤匠の大きな手を感じて、また涙がこぼれた。

「どうして、今日はわざわざ横浜まで来たのですか?メールでも良いのに。」

「すみません。ご迷惑でしたか?」

私はハンカチで目を押さえながら、怒りがこみあげてきた。わずかばかりでも、期待して過ごした2日間を返して欲しいと思った。

「私、加藤さんのことが好きでした。だから、嬉しくて。なのに、そんなこと言われて。」

最後の方は言葉にならなかった。

「正直なところ、僕もです。」

「え?」

言われている意味がわからなかった。

「僕も、大家さんのことを大家さんとしてではなく、一人の女性として見ていたのだと思います。」

私は、ハンカチを外して加藤匠の目を見た。それは嘘などないことを確信できる目をしていた。

「だから、一緒に屋上で話せた時、居酒屋で夕食を食べた時、嬉しかったです。でも、前にも話したように、僕には結婚願望がない。子どもも欲しいと思えない。だから、好きになってはいけないと思っていました。そんな時に、伯父が亡くなった。それで、本当の夢を思い出したのです。一つは観葉植物や花を商売にすること。もう一つは母と暮らすこと。こんなことを話したら、マザコンだと思われるのだと思いますが、僕は母を幼い時に無くしている。それは紛れもない事実で、その喪失感は他の誰にも埋めることはできません。どんなに愛した女性がいたとしても、その人は母ではない。もちろん、伯母も僕の母ではありません。でも一番近い存在であることは確かです。理解してもらえるかどうかわかりませんが、伯母と男女の仲になるつもりはありません。伯母は伯母であって、僕の父の弟の奥さんです。向こうも同じ気持ちだと思います。年齢だけ見たら、僕たちは女性が年上のカップルにも見えるかもしれないけれど、そうじゃない。親子にはきっと見られないでしょう。他人がどう見ても、僕は僕だし伯母は伯母です。だから、このチャンスを掴みたいのです。本当は、僕自身が熱海に帰りたかったのかもしれません。自分勝手だと思われるかもしれませんが、大家さんのこと、本当に大切に想っていました。それだけはわかってもらいたいです。」

涙は止まっていた。私は大きく頷いた。

 5分だろうか、それとも10分位経っていただろうか、沈黙が続いた。

その時、ぐうと腹の鳴る音がした。

「すみません。今日、中華街へ行けるって知って、朝飯抜いてきてしまって。」

二人で笑い合った。

「中華、食べに行きましょうか。」

私がそう言うのを待っていたかのように、

「はい、楽しみにしていました。」

と言う加藤匠の笑顔は、初めて見た時のように輝いていた。

私は、この男を好きになって良かったと思った。

固焼きそば、エビチリ、クラゲの前菜、餃子、ふかひれスープ、八宝菜、それに杏仁豆腐もつけて、お腹いっぱいだった。

「いやぁ、本当にうまい。これはまた来たくなりますね。」

という加藤匠に、

「熱海からすぐです。またいらして下さい。」

「はい、また来ます。」

と、叶わないであろう約束を交わした。その日が来ないことは、二人ともわかっていた。

加藤匠は、中華食材を売る店で、粒のままのコショウ、シナモンスティック、生姜パウダー、それと私が勧めた凍頂ウーロン茶を買っていた。

また赤レンガ倉庫を見たいと言う加藤匠のリクエストに応えて、同じ道を戻ることにした。

 海が見えるカフェに入り、アイスコーヒーとハーブティーを注文した。

 「そう言えば、来る時に観覧車見えましたね。」

「よこはまコスモワールドという遊園地があります。入園料はかからないので、乗りたいものだけ乗れるのですよ。昔、父と来た記憶があります。」

「帰りに、お付き合いいただけますか?僕、観覧車って乗ったことがないのです。」

「えぇ?一度も?」

「そんなに驚くことですか?」

「はい。子どもの時とか、遠足とかで遊園地には行きませんでしたか?」

言ってしまって、私はしまったと思った。

「遊園地には行ったことがあります。でも、乗るきっかけはなかったなぁ。」

加藤匠はあまり気にしていない様子で答えた。

「デートでは?」

「僕は、恋愛下手なので、デートと言っても女の子と長く続いたことが無くて。」

「でも、モテたでしょう?その顔で、モテないなんておかしいですよ。」

「顔ですか?」

「えぇ、加藤さんを始めて見た時、芸能人かと思うくらいのオーラを感じましたよ。それは今も感じていますけど。」

加藤匠は心底驚いたような顔をした。

「そんなこと、初めて言われました。」

「私、初めてお会いした時、すっぴんで髪の毛ぼさぼさで、手にはほうきとちりとりを持っていました。そういう自分の姿が恥ずかしかったです。」

「よく覚えています。僕はそんなこと何とも思いませんでした。朝から掃除してくれていて、大家さんは素敵な女性だと思っていましたよ。」

お互いに、今日で会うのが最後だとわかっていたからか、思っていることを何でも話せた。

よこはまコスモワールドの観覧車に乗って、私は予想していたよりも胸がドキドキしていない自分に驚いた。もう叶わない恋だとわかっていたからだろうか。

 加藤匠も、淡々としていた。

海にせり出した半円形の建物を指さして、

「あれはホテルですよね。テレビで観たことがあります。一度くらい泊まってみたいなぁ。」

「そうですね。」

そう答えながら、自分はかつての婚約者と宿泊したことがあるとは言えなかった。

 「加藤さん、私もお願い一つ聞いてもらって良いですか?」

「なんでしょう?」

「一緒にあれやりませんか?」

「あれ?」

もうすぐ地上に着く頃に、遠くに並んだ機会を指さした。

「はい。プリクラです。」

「懐かしいなぁ。昔、男友達と部活の帰りに撮ったことがあります。こう、シールになっているのですよね。」

「そうです。加藤さんみたいなイケメン、もう二度と会えないと思うので、記念に一枚。」

加藤匠は、観覧車の外まで聞こえそうな声で大笑いをした。

「いいですよ。多分、数か月後には別の男性に同じことを言っていそうだなぁ。」

そう言われて二人で大笑いをした。

私は内心、もうこれ以上の恋はしないだろうなぁと思っていた。

桜木町駅で別れる時、

「今日はありがとうございました。また連絡します。」と言われて、「はい」と答えるのが精一杯だった。

私から手を差し出して握手をした。

初めて握るその大きな手は、温かくて、柔らかかった。

 それから一か月ほどして、加藤匠はグランコーポK302号室から引っ越して行った。   

本当は、退室時の立ち会いをするべきだったのだが、母の通院を言い訳にして、ちちぶ不動産へ頼むことにした。ご主人は快く引き受けてくれた。

 加藤匠には、退室時の立ち会いが出来ない旨、観葉植物のオーガスタは201号室の玄関前に置いておいてくれるように依頼した。  

野菜類は、収穫時期が終わるのでそのまま処分してくれるという申し出に甘えることにした。

 私は、グランコーポKに戻るのが億劫になりいつまでも横浜の家で過ごした。

 加藤匠が引っ越して3日後、ちちぶ不動産へ顔を出した。

 「加藤さん、熱海へ戻るんだってね。どうやら向こうで店を出すらしいよ。立派だよね。体格も立派だけど、やることもいい男だよね。」と笑っていた。

 私も調子を合わせて、事務手続きを済ませ、御礼を渡してちちぶ不動産をあとにした。

 グランコーポKに戻ると玄関前に懐かしいオーガスタが出迎えてくれた。少し成長しているように見えた。葉っぱはツヤツヤと輝いていた。加藤匠の手入れによるものであることは一目瞭然だった。

 オーガスタを部屋の中に入れ、たっぷりと水をやった。そして、ごろりと横になり天井を眺めた。この上にはもう誰も住んでいない。空っぽになったのは私の心も同じだった。

 ふと、合鍵を使って、302号室を覗いてみることを思いついた。覗くと言っても、加藤匠は引っ越しているし、今は誰のものでもない。強いて言えば、オーナーである私のものに違いなかった。

 まるで泥棒に入るかのように、そうっと玄関の鍵を開けると、驚くくらいに何もなかった。当たり前だ。けれども、何だか私の心をそのまま引っ張り出したようにがらんとしていた。

 私は、また横浜に戻った。もうグランコーポKに戻らなくても良いと思った。もし住みたい人がいれば、202号室を空け放しても構わないとさえ思っていた。

 マンション管理は、そこに住まなくても出来る。そんな当たり前のことを、実際にグランコーポKに住んでみてわかった。

 私は、横浜でアルバイトを始めることにした。ジーンズショップのお直しコーナーだ。裾上げが主な仕事だからそれほど大変ではない。金曜日から月曜日の4日間だけ働いて、残りの3日は、呼ばれたら出勤している。

 平日の昼間は、客はまばらだから、端切れでポーチを作ったり、洋服のデザインをスケッチしたりする余裕もあるくらいだ。店長も、それを咎めたりしない。

 その代わり、昼休憩の時間でも、急ぎの裾上げの注文が入れば、休憩を中断してそれに取り掛かる。店長の言うことには、全面的に従うので、私はよく褒められる方だった。

注文が無ければ、店に届く新聞を読んでいても文句を言われることはない。仕事さえきっちりしていれば、問題ないのだ。

 ある時、新聞の折り込みチラシに、「マンション投資セミナー。マンション管理のあれこれ無料相談。」という広告を見つけた。不動産会社が企画しており、サラリーマンや公務員を対象に、一からマンション管理について教えてくれるという。

資金面や、税金関係、賃貸稼働率の上げ方など、2時間のセミナーの内容は多岐に渡る。おまけに、マンション管理のAtoZという冊子を無料で配ってくれるらしい。対象は、これからマンション管理を始める人向けらしいので、今現在マンションを所有していなくても参加できるというハードルの低さだ。 

 私は、店長に「ミシン周りの掃除をするので、新聞紙とチラシをもらって良いか」と承諾を得て、不動産管理セミナーのチラシをポケットへ入れた。

 家に帰り、早速申し込みの電話をした。資金は無いが、マンション管理について勉強したい旨を伝えたところ、大歓迎だと言ってくれた。相手方には申し訳ない気持ちもしたが、マンション管理について勉強したいのは本当だった。

 金曜日の夕方、アルバイトを終えて、急いで会場へ向かった。開始時間を5分すぎていたが、受付で名前を言うと笑顔で対応してくれた。美しい受付の女性が、会場のドアをそっと開けてくれて、私は一番後ろの席についた。

 人の良さそうな講師の自己紹介が始まっていた。机の上の資料を眺めていると、会場のドアが再び開いて、スーツ姿の男性が入ってきた。

 「すみません。隣失礼します。」と私に言ったその男は、40代後半くらいのさえないサラリーマンと言った風貌をしていた。ずんぐりむっくりの体型に、オシャレとは程遠い視力調整の為だけにかけているといったメガネ。額の汗をハンカチで拭う姿は、サラリーマンの代表選手のようだった。

 私は、頭だけ少し下げてセミナーに耳を傾けた。内容が管理コストの話になると、隣の男は小さな声で「ははぁー」と呟いた。

空室が続いた場合や、家賃の未払いの話になると「結構かかりますねぇ」と私に話しかけてきた。「そうですね。」とだけ返した。

 セミナーが終わり、希望者のみ残って個別相談ができる時間になった。すると隣の男は、「お若いのに、マンション管理をお考えですか?」と私に話しかけてきたので「あんまり真剣に考えているわけではないです。ちょっと話だけ聞こうと思って。」と返事をした。

すると、こちらは聞いてもいないのに、「私は、結婚資金に貯めておいたお金が、無駄になりそうなので、結婚は諦めて別のものに使おうと思って。あはは。」と頭を掻いた。

 私は、自分のことを棚に上げて内心、「あなたならそれが正解かもしれませんね」と思いながら、「そうですか。それでは失礼します。」と会場を離れた。

 セミナーの内容は充実していて、参加して良かったと思った。私の場合は、グランコーポKがあるから体感的に理解していることも多かったが、物件によっては、入居者に恵まれなかったり、夜逃げ同然に失踪して片付け費用が大家もちであったりするケースも知ることができて勉強になった。

ちちぶ不動産のご主人がいつも言うように、グランコーポKは入居者が絶えず、かつトラブルを起こすような入居者とは無縁で恵まれている。

 帰りに、会場から駅までの間に見つけたパン屋でクイニーアマンと明太子フランスを買って帰った。

 横浜での生活はやはり自分に合っている。住み慣れた実家に見慣れた街の景色。週の半分だけアルバイトをするという気楽さ。

 いつものように、ジーンズの裾上げをしていると、店長が焦った様子でお直しコーナーに入って来た。

 「若宮さん、急ぎの相談があるんだけど、ちょっといいかな?」

「はい。店長どうされましたか?」

「これさ、一昨日、なっちゃんが裾上げしたお客様のジーンズなんだけどね。左右の長さを間違えちゃてるんだよ。左が股下74センチで右が72センチなんだけど、お客様が帰って、今朝履こうとしたら逆になっていたって。まずいよね。」

なっちゃんというのは、服飾専門学校に通う20歳の夏希という女性だ。

「店長、同じものは店頭にありますか?急いで裾上げします。」

「いや、それが無いんだよ。色違いはあるのだけどね。この色は最後の一本で。何とかこれで直せないかな?」

長いものを短くすることはできるが、短く切ってしまったものを長くするのは至難の技だ。スラックスならまだ可能性はあるが、ジーンズの場合は余り生地が少ないのと、ステッチの跡がくっきり残ってしまう。

 「私が行ってご説明します。どのお客様ですか?色違いならあるのですよね?あとは同じサイズの似た形のジーンズを一通り出しておいてください。」

店長にそう頼んで、お直しコーナーのカーテンを開けた。

 「あ」

店のレジ前にいた男性と私は、同時に声をあげた。

「この間のセミナーでご一緒でしたね。こちらで働いているのですか?また会えて良かった。」

とずんぐりむっくりの男性は言った。

「裾上げの件でご迷惑をお掛けしておりまして申し訳ありません。」

「いやぁ、今朝履いてみたら随分長さが違うのでびっくりしました。私ね、昔柔道で投げられて足の指の骨を折ったことがあるのです。それでびっこ引いて歩く癖がついてしまって、左右の足の長さが違ってきてしまったのですよ。」

「そうでしたか。」

この男は、聞いてもいないことをべらべらと喋る男だと思ったが、今は謝罪に徹するしかない。

「店長から申し上げました通りですが、こちらのジーンズがラスト一本でして、全く同じ商品のご用意がございません。申し訳ありませんが、近いものをお持ち致しますので、それで何とかご容赦いただけませんでしょうか?」

「あなたがそう仰るのなら、そうしましょう。いや、これは見切り品コーナーで選んだから、最後の一本っていうのはわかっています。」

私は、頭をぺこぺこと下げながら、店長が用意した同じようなデザインのジーンズを並べた。

「どれが良いと思います?」

そう聞かれて、

「そうですね、お客様のように左右の股下の長さが異なる場合は、こちらのストレートタイプがよろしいかと思いますがいかがでしょうか?色味も近いですし。」

「あなたがそういうならそれにしましょう。でも、随分高いですね。」

付いている値札には19800円と記されていた。

「差額は頂戴致しませんので、ご安心ください。20分ほど頂きましたら裾上げしてまいりますので。」

「良いのですか?」

私は隣にいた店長に視線をやると、

「どうぞどうぞ。この度はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」

と店長は平謝りをしていた。

念のため、試着室でジーンズを履いてもらい、採寸してから裾上げに入った。

15分ほどで仕上がり、再び試着してもらうと、その男は、

「いいですね。気に入りました。やっぱり高いジーンズは違うなぁ。間違えられて良かったです。あなたにも会えたし。」

「本当にご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。そのようにおっしゃって頂き、ありがとうございます。」

 男が帰ると、店長は私の手を握って

「若宮さん、ありがとう。あの人、入って来た時はものすごく怒っていたのに、若宮さんの顔を見た途端に穏やかになったよ。本当に助かった。コーヒーおごる」

と上機嫌だった。

 三か月後、私は結婚した。井上慶になった。相手は、不動産セミナーで会った、左右の足の長さの違う井上真一だった。

 あの後、何度も店に足を運んでくれて、お直し担当である私が接客する必要はないのだが、また私にジーンズを選んでほしいと言っては呼ばれた。

時には、ジーンズに合うシャツも選んでほしいと言われた。正直なところ、私の専門はお直しで、ファッションについてはあまり興味はないのだが、売れ筋の商品を適当に選んでやるだけで喜んでくれた。

喜ばれると嬉しくなるもので、段々と心を開いていき、何度か食事を重ねていくうちに、気が合うことがわかった。グランコーポKを所有していることを話すと、「それは素晴らしい」と感激してくれた。

 

 季節は冬から春になろうとしていた。井上真一の都合もあり、横浜で二人の新生活を始めることになり、グランコーポKの202号室の荷物を運び出すことにした。

 ちちぶ不動産へ挨拶に行くと、随分と喜んでくれた。

「若宮さんの娘さんが結婚かぁ。お父さんも空の上で喜んでいるだろうなぁ。」と目を細めた。 

 101号室の車いすの入居者は、夏に結婚する予定だという。6月ごろに退去したいという連絡があったそうだ。102号室の吉村塗装は商売繁盛で、従業員を2人増やしたそうだ。

201号室の喜多村一家は、一戸建て購入を検討しているらしい。子どもが小学校に上がる来年の春には出て行くという。

301号室の荻野目親子は、賃貸継続の更新手続きを4月に控えている。家賃の支払い状況も良く、静かに暮らしているので、家賃を千円引き下げてあげようと思っている。

302号室は、近くにラーメン屋をオープンさせて30代前半の男性が暮らし始めた。夜遅くに洗濯機を回しているようなので、202号室に新しく入居者を入れる場合は、同じような生活リズムの人が良いかもしれないとアドバイスをしてくれた。

「そうそう、熱海に引っ越した加藤さん。ほらあの背の高い。」

「はい。覚えています。」

「あの人も結婚したって。何でも、遠い親戚らしいけど。養子縁組だとかなんとかいったかな。店を出すのに共同出資するためだって。大家さんによろしくお伝えください、と言われたよ。」

私は、胸が熱くなった。この感覚は、生まれて初めての経験だった。最愛の伯母と家族になれたのだ。

これで良かったのだ。私は幸せ。あの人きっとも幸せ。

 どんなに想っていても、結ばれないことだってある。それが男と女というものだ。

 私が、グランコーポKのオーナーになったことも、加藤匠と出会ったことも、井上真一と結婚したことも、きっとそれで良かったのだ。

 もし、この先、私に子どもが生まれたら「匠」と名付けよう。私はそう胸に誓った。

 -完-

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